検察官の起訴裁量権の限界

明石歩道橋事故遺族、元署長ら起訴を最高検に申し入れ
 兵庫県明石市で2001年、花火大会の見物中に犠牲となった歩道橋事故の遺族らが29日、業務上過失致死傷容疑で書類送検され、嫌疑不十分で不起訴となった元明石署長と元副署長(ともに退職)を起訴するよう最高検に申し入れた。
 遺族は、神戸検察審査会に2度にわたって申し立てをし、同検察審査会は04年4月と昨年12月に「起訴相当」を議決。神戸地検が3度目の捜査を行っているが、7月21日に公訴時効が成立することから、元署長らを起訴するよう、要請書を最高検に渡した。
 遺族会代表の三木清さん(37)は「このまま、うやむやに終わらせないためにも、起訴して事故の全容を解明してほしい」と話している。
(2006年03月29日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20060329p302.htm

筆者の考えを端的に示せば、検察は起訴すべきだ。
確かに刑訴法は、起訴便宜主義、検察官訴追主義を規定している。
しかし、検察官の完全裁量事項かというとそうではないだろう。
今回の事件も、単に被害者が起訴を望んでいるというだけなく、検察審査会が2度も「起訴相当」を議決している。
また、被疑者は警察署長、副署長(当時)であることからすると、嫌疑不十分でカタをつけるのではなく、
裁判所の有罪、無罪判決で決着するべき事項のように思われるのである。
これを嫌疑不十分だと固執する検察官は何様だ。
これだけ社会的関心があり、被疑事実も公の事項だ。検察官判断で終わらせるべき事項ではないのである。
数ヶ月で時効を迎える。検察官の不起訴が、違法な公権力行使(不作為)たりうるか?、「損害」はあるのか?
国家賠償請求肯定の理論を考えてみるのもおもしろいかもしれない。
「このまま、うやむやに終わらせないためにも、起訴して事故の全容を解明してほしい」
有罪、無罪の判断はまさに、司法の場でなされるべきだろう。