保護期間延長論

著作権、映画以外も50年→70年に…関係団体が一致
 文学や音楽、美術、写真などの著作権の保護期間を現行の著作者の死後50年間から、欧米並みの70年間への延長を求めていくことで関係団体の意見が一致した。
 9月中にも共同声明をまとめ、文化庁著作権法の改正を要望する。
 同庁は声明や利用者側の意見も踏まえ、来年度中にも文化審議会著作権分科会に諮り、法改正を目指すとしている。
 国内の著作権の保護期間を巡っては、日本の映画やアニメの人気が海外で高いことから、国際競争力を伸ばすなどの趣旨で2004年、映画のみ欧米並みの公表後70年間に延長された。
 一方、その他の個人の著作物については、死後50年間のまま残されており、欧米では著作者の死後70年が標準となってきたことや、政府が唱えている「知的財産立国」の視点からも保護期間の延長が急務、とする声が上がっていた。
(読売新聞) - 7月23日7時27分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060723-00000101-yom-soci

この記事からすれば、文化庁はどうやら延長の結論ありきの「法改正を目指す」だそうだ。
よく見る表現だが、改正するかどうかは、権利者利用者を含めた国民議論あってのことだ。
他の技術的法案とは異なり、行政官僚に委ねるべき必要性は低いし(むしろ混乱をまねたいのが先日の仮処分決定事件)、
そもそも文化庁は、文科省と異なり、その長は内閣の構成ではないのだから、法案提出にあたっては一歩後退する。
この点で、権利者主導の結論ありき(手続保障だけの)議論はやめるべきであろう。


さて、著作権保護期間延長論の根拠は比較的長い国家との整合でしかないだろう。
何の国際競争だろうか?
文化産業の国際競争?しかし、文化の発展が著作権という財産権創設の目的であり、
産業の発展を目的としているわけではないのは、著作権法1条を読めばわかることである。
産業保護的な国際競争論自体失当と言わざるを得ないだろう。


さらに、私は「知的財産立国」の観点から、むしろ延長すべきではないと考えている。
著作物をパブリックドメインに解放することで、創造力ある知財立国となることができるように思うのである。
しかも、あたらな創造物を作り出すというとき、十分な利用環境が整えられているかというと、
放送と通信の融合における(著作隣接権者の)権利制限議論でみるように、決して十分とはいえないのである。
両者のバランスを図るのであれば、保護期間の長期化で生じる権利者不明の場合にとりうるより簡便な措置、
さらには、いつまでも過去の遺物にしがみついて、新たな文化の創造を妨げることに対応する強制許諾制度も必要だろう。


著作権保護機関の長期化は、(法人)権利者が過去の固執することにつながり、
かえって創造へのインセンティブを奪う事にもなりかねない。
また、個人の死後70年というのも、死亡時迄保護されていることに鑑みれば、やはり長いと言わざるを得ないだろう。


著作権保護機関延長論は、保護期間10年とか30年とかいう期間とは倍以上になっており、
かつてにおける著作権保護期間延長論に比べて、同様に安易な延長は許されない域にはいってきている。
我々による法改正によって文化創造の縛りをうけるのは、我々の子孫である。
(国際競争力という趣旨からすればありえないが、価値判断としては、)
権利者も、法改正後に施行された著作物だけが期間延長される、という前提で保護期間延長すべきか、
ということを考えるべきだろう。