無断引用?滋賀県近江八幡市事件

市の大綱、半分は無断引用 滋賀、職員を減給処分
 滋賀県近江八幡市は1日、市のホームページに掲載した大綱に新聞や雑誌の論文などを無断引用していたとして、課長級職員(52)を減給10分の1、3カ月の懲戒処分とし、ホームページや広報紙に謝罪文を掲載すると発表した。
 市によると、職員は今年3月まで総務部に所属。昨年8月からホームページに掲載された「近江八幡市国際施策推進大綱」の取りまとめを担当していたが、新聞や雑誌などに掲載された大学教授らの論文などを無断で引用していた。引用は大綱の約5割を占めていたという。
 職員は「著作権を侵害するとは思っていなかった。大綱を早く掲載しなければと焦った」と話しているという。今年4月、教授が無断引用に気付き市へ問い合わせて発覚、市はホームページから削除した。
共同通信) - 7月1日13時46分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050701-00000161-kyodo-soci

記事を読むと無断引用ってなんやねん?と思ってしまいます。
そもそも法律上の「引用」ってそもそも無断でするものでしょう?
まぁ、辞書的には、

いん‐よう【引用】
[名](スル)人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いること。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=01344400&p=%B0%FA%CD%D1&dtype=0&stype=1&dname=0na&pagenum=1

なので、法律上の「引用」でなくても、国語的な「引用」というのはあるのかもしれません。
などと考えながら、近江八幡市をチェック。
トップには何もないですが、
各課ページ>総務・パートナーシップ推進課>多文化共生社会について考えてみよう
でお詫び文を閲覧することができます。わかりにくいです。反省の気持ちなし?

著作権侵害行為に対するお詫び
 本市のホームページ上において、平成16年8月25日から平成17年4月7日まで掲載しておりました「近江八幡市国際施策推進大綱」につきましては、明治大学商学部教授山脇啓造先生の著作物など、下記の著作物から無断で引用しました記述が多く、その量は、大綱全体(本文14ページ)のうちの5割近くを占めておりました。この行為によって、著作権の侵害はもちろんのこと、日々、多文化共生社会の実現に向けてご尽力いただいております山脇先生をはじめ共同でご研究されておられます先生方に対しまして、大変、ご迷惑をおかけしたことになり、誠に申し訳なく存じているところです。また、市民の皆様をはじめ、ホームページを見ていただいた方々に対しましても、信頼を裏切る行為であり、誠に申し訳なく存じております。今後、こうしたことが起こることのないよう、ホームページの管理体制を見直し、チェック機能を強化してまいりますので、ご理解をお願いします。


         記


 引用しました著作物については、次のとおりです。


1. 大綱の「目的」の文面のほぼ5割について   
引用元は、「朝日新聞」2002年11月6日に掲載されておりました山脇氏の論文「多文化共生へ基本法制定を」です。
2. 大綱の「国際施策の現状と課題」の文面のほぼ5割について   
引用元は、「世界」2001年7月号に掲載されておりました山脇氏・柏崎氏・近藤氏の共同論文「多民族国家・日本の構想」です。
3. 大綱の「国際施策推進の目標」の文面のほぼ6割について   
引用元は、2003年3月に掲載されておりました「外国人との共生に関する基本法制研究会」による「多文化共生社会基本法の提言」です。
4. 大綱の「多文化共生社会の定義」の文面の全文について  
引用元は、2003年3月に掲載されておりました「外国人との共生に関する基本法制研究会」による「多文化共生社会基本法の提言」です。
5. 大綱の「施策の基本的方向と具体的施策」の文面のほぼ全文について   
引用元は、「地方自治職員研修」2004年7月号に掲載されておりました山脇氏の論文「外国人住民と自治体」からと、2003年3月に掲載されておりました「外国人との共生に関する基本法研究会」による「多文化共生社会基本法の提言」です。
http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/owabi.htm

近江八幡 広報「おうみはちまん」7月1日号には未掲のようです。
http://www.city.omihachiman.shiga.jp/topikusu/koho/index.html

これを読むと、実は無断引用というのは、出所表示義務違反の「引用」をいうとか?と思ったりもします。
ただ、これらが本当に「引用」元なの?というとかなり疑問で、引用を超える転載ではないか?と。
単に取り込む(複製)とかの意味で思っておけばいいのでしょうか?
国語的な意味は否定できませんが、市庁の著作権への理解を考えると、
この職員だけを責めるには酷なのではないか?と思ってしまいます。


なお、大綱については、googleにキャッシュが残ってます。
http://66.102.7.104/search?q=cache:uxpSgWoqbkEJ:www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/kokusesaku.pdf+%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%B8%82%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%96%BD%E7%AD%96%E6%8E%A8%E9%80%B2%E5%A4%A7%E7%B6%B1&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
読み比べてみるのもおもしろそうです。


以下は、過去のサイトです。

多文化共生社会について考えてみましょう


近江八幡外国籍市民ネットワークとPSS課からのメッセージです


こんにちは以下を見てください。
.多文化共生のまちづくり・・・・「近江八幡市パートナーシップ多文化共生基本条例(素案)」
http://web.archive.org/web/20040623072041/http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/tabunkajyoreian1.pdf
.多文化共生社会基本法の提言
http://web.archive.org/web/20040818081243/http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/KIHONHO.PDF
.多文化共生社会の形成に向けて・・・明治大学 山脇 啓造
http://web.archive.org/web/20040622225724/http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/LAW.PDF
.多文化共生を推進する「基本法」と「条例」に関する10の質問
http://web.archive.org/web/20040519011039/http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/Q&A.PDF


課題レポート・・行政の文化化と多文化共生の自治PSS課)

http://web.archive.org/web/20040622232018/http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/kadai.htm


行政の文化化とパートナーシップ推進化の一環として、多文化共生の自治の姿を構築する
総務部パートナーシップ推進課長 西川 秀夫  

http://web.archive.org/web/*/http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/tabunkasyakai.htm

これを見ると、すでにこのあたりから著作権関係は微妙なにおいがします。このころは許諾を得ていたのかな?
なお、

http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/tabunkasyakai.htm
http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kikakuzaisei/partner/kokusai/tabunnka/kokusesaku.pdf
は、残ってませんでした。

明治大学商学部山脇啓造研究室
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~yamawaki/

総務省「悪の温床」化防止 その3

総務省「悪の温床」化防止 (その1)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050628/1119893273
総務省「悪の温床」化防止?(その2)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050630/1120070741

という2つの記事を書いたが、その続報。

「ネットに匿名性は不可欠」――総務省
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0507/01/news059.html
2005/07/01 16:44 更新

という記事があったようだ。
この記事には、共同通信社の記事の印象と「情報フロンティア研究会」報告書の内容が異なるということが書いてある。
20050630付拙稿「総務省「悪の温床」化防止?(その2)」のような内容である。
さて、このitmediaの記事に関して、弁護士落合洋司氏がブログで次のように述べている。

報告書の中で、ネットの実名利用について触れたのはこの1カ所だけ。報道されたような「ネットの実名化を推進する」「ネットの“悪の温床”化を防ぐ」といった内容の記述はなかった。

だから、一連の批判は、報告書を読まない者の的はずれなもの、誤解に過ぎない、と持って行きたいようですが、本当にそうなんでしょうか?
再度、問題の共同通信のニュースを見てみましょう。
「実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050627-00000032-kyodo-bus_all
この記事で、「方針を固めた」のは「総務省」となっています。文部科学省などと具体策を詰めるという主体も総務省であり、そういった方針を、「今週初めに発表する総務省の「情報フロンティア研究会」の最終報告書に盛り込む。」とされているわけです。この主語も、普通に読めば総務省でしょう。
普通の日本語能力を持つ人が、この記事を素直に読めば、総務省がそういう方針で進めて行くことにして、報告書(こういった報告書の作成の在り方を少しでも知っている人は、会のメンバー「だけ」で作成されるものではないと容易にわかるでしょう)にもそれを盛り込もうとしていると、当然読みます。だからこそ、厳しい批判が噴出したのが実態です。
それを、「報告書はそういう趣旨ではない」とすることによって、巧妙な論点のすり替え(「総務省の意図」が「報告書の趣旨」の問題にすり替わっています)が行われ、総務省はそんなことは考えていない、とさりげなく言いつつ、一連の批判を、「報告書に対する誤解」という方向へ持って行くことで、沈静化を図ろうとしているのが、この総務省課長補佐の発言であると私は考えます。一種の詭弁ですね。
もし、本当に総務省が「ネットに匿名性は不可欠」と考えているのであれば、上記の共同通信の記事は、明らかに「誤報」であり、当然、厳重に抗議するなどして謝罪、訂正を求めるべきですが、そういった動きがあった形跡は何らありません。そういった動きがないこと自体が、総務省の真の意図が匿名性の排除にあることを示していると言えるでしょう。
ITmediaの記者(岡田有花・・・どこかで聞いたような名前ですね)も含め、上記のような巧妙な論点のすり替えに幻惑された方が少なくないようですが、落ち着いてよく考えてみたほうが良いと思います。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050702#1120233980

共同通信社の記事を再掲すると、

実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止
 総務省は27日、自殺サイトなど「有害情報の温床」ともいわれるインターネットを健全に利用するために、ネットが持つ匿名性を排除し、実名でのネット利用を促す取り組みに着手する方針を固めた。匿名性が低いとされるブログ(日記風サイト)やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)を小中学校の教育で活用するよう求め、文部科学省などと具体策を詰める。
 今週初めに発表する総務省の「情報フロンティア研究会」の最終報告書に盛り込む。
 国内のネット人口は増加する一方だが、匿名性が高いために自殺サイトの増殖や爆弾の作製方法がネットに公開されるなど、犯罪につながる有害情報があふれている。総務省はそうしたマイナス面を排除し、ネットを経済社会の発展につなげていくためには、実名でのネット使用を推進し、信頼性を高めることが不可欠と判断した。
共同通信) - 6月27日9時36分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050627-00000032-kyodo-bus_all

である。
総務省は…方針を固めた。」、
「今週初めに発表する総務省の「情報フロンティア研究会」の最終報告書に盛り込む。」をどう読むかであろう。
総務省が方針を固めた方針が最終報告書に盛り込まれいると読めば、
報告書の内容から理解できる総務省の方針は、記事のような内容のものではない、ということになる。
これに対して、「総務省は…方針を固めた。」とい部分がまずあって、それを最終報告書盛り込もうとしている、と読めば、
総務省」の意図を伝える報道ということになろう。
ここでまず、確認しておくべきことは、
「情報フロンティア研究会」の最終報告書の内容は記事のようなものではない、ということである。
「盛り込む。」という表現が発表前だからそうなっているのか、発表直前の会議で盛り込むつもりなのかわからないが、
前者であれば報告書の内容という意味では誤報であるが、後者であれば、必ずしもそうとはならない。
この点については、

情報フロンティア研究会(第6回)
平成17年6月14日(火)
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/info_frontier/050614_2.html

が最終であり、

情報フロンティア研究会(第6回)議事要旨
※報告書については、座長一任によりとりまとめ、報道発表を行うことで構成員了承
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/info_frontier/pdf/050614_1.pdf

となっていることからすれば、この最終議事をみれば、
総務省の意図が報告書にあわわれる予定があったのかどうかくらいはわかるように思う。
最終的な報告書がいつできたのかにもよるが、「総務省の真の意図」が報告書にでる予定だったかというと疑問が残る。
このことからすると、報告書の内容という意味では記事の正確性には疑問を覚える。
「報告書の内容が誤解である」ということは否定できないように思う。
この点に関して「この記事を素直に読めば、総務省がそういう方針で進めて行くことにして、
 報告書……にもそれを盛り込もうとしていると、当然読みます。」といえるかどうかは、
報告書の作成実務とも関係し、「当然」読めるものではないように思います。
(27日朝の記事の反応をみて、座長一任の名のもとにこっそり総務省が作成していた文章から、
 その日のうちに当該記事部分を削除して翌日に発表したといえなければなりません。
 ありえないことはでないですが、「当然」読めるものではありません。)


ただ、落合氏のいう「総務省の真の意図が匿名性の排除にある」ということも否定できないように思う。
「情報フロンティア研究会」の最終報告書が「匿名性の排除にある」でないからといって、
今後いつ「総務省の真の意図」が顕在化するのかわからない。このことは並立する問題なのである。
「匿名性の排除」という「総務省の意図」(と思われるもの)は決して報告書によって打ち消されるものではないし、
報告書がそのようなものでなかったことに安心してはいけない、という意味では、
論点のすり替え」に注意する必要があるという指摘は的を射たものであろう。
報告書の内容理解と総務省の意図とは一応区別するべきであろう。


そういうわけで、「総務省」の「匿名性の排除」という意図の可能性は決して払拭できない以上、
20050628付拙稿「総務省「悪の温床」化防止(その1)」は撤回しない。
ただ、記事表現の妥当性への疑問が依然として残るのは、
20050630付拙稿「総務省「悪の温床」化防止?(その2)」の通りである。
「情報フロンティア研究会」の最終報告書は記事から受けるような印象のものではない。
このことはこのことできちんと理解しておきべきであろう。


筆者の読み方が正しいとは言わないが、ニュースサイトの記事だから…、弁護士の記事だから…、ということではなく、
各人がきちんと物事を判断する力を見につける必要がある、ということを改めて実感したのでした。

追記(2005.7.4)


おそらく議論のすりかえというのは、

「ネットの匿名性を排除すべき、とは言っていないのだが」――総務省情報通信政策課の内藤茂雄課長補佐は、一部報道をきっかけにブログ界で盛り上がった「政府がネット利用の実名化を推進しようとしている」という議論に頭を抱えた。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0507/01/news059.html

という点でしょう。
1.共同通信社記事は(総務省が)報告書に「ネットの匿名性を排除すべき」と“盛り込もう”としたことを問題とした。
2.しかし、結果的に報告書盛り込まれなかった。
3.総務省(内藤課長補佐)は、報告書には「ネットの匿名性を排除すべき」なんて書いてないのに…
→記事は報告書の内容ではなく、総務省の「ネットの匿名性を排除すべき」という意図を問題にしているのに、
 総務省(内藤課長補佐)は、報告書に「ネットの匿名性を排除すべき」なんて書いてない!というのがすり替えだ。
ということのように思われます。
大前提として、記事を1のように理解していることが必要です。
ただ、ここで問題視されるのは、総務省(内藤課長補佐)のそのような態度です。
そして、本当にそのような意図を総務省がもっているのであれば(筆者も可能性は否定していません)、
今回の報告書にそのことが記載されなかったらといって、いつ顕在化するかわからないので、
安心してはいけない、報告書の内容が記事の印象と違ったことにのみ気をとられてはいけない、
ということでしょう。落合氏の言いたいことは。
ただ、一方で報告書の内容を正しく理解することは変わりないですし、
本当にあの記事の表現が妥当なものかということは、検討する必要があるように思います。
これでかなり整理できたかな?