?「七人の侍」vs「武蔵」東京地裁判決概観

七人の侍」vs「武蔵」東京地裁判決評釈の東京地裁判決がホームページに公開された。
平成16年12月24日東京地裁判決 平成15(ワ)25535 著作権 民事訴訟事件
http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/c617a99bb925a29449256795007fb7d1/3640e47fbe3876d549256f77000c55b7?OpenDocument
相当長い判決文なのだが、この判決について簡単にみると、

第2 事案の概要
 映画「七人の侍」は,映画監督黒澤明(故人)ほか2名の共同執筆に係る脚本を基に,黒澤明が監督を務めて昭和29年に製作された映画である。原告らは,黒澤明の相続人(子ら)である。
 本件において,原告らは,被告日本放送協会の平成15年放送に係る大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」第1回の製作に当たり,同番組の脚本を担当した脚本家である被告Cが上記映画の脚本及び上記映画を無断で翻案して同番組の脚本を執筆し,被告日本放送協会が上記番組を製作して,被告らが上記映画脚本についての黒澤明著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)並びに上記映画についての黒澤明著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害したと主張して,被告らに対し,同番組の複製・上映等の差止め,同番組の脚本の複製・出版等の差止め,同番組のマスターテープ等の廃棄,損害賠償金1億5400万円の支払及び謝罪広告・謝罪放送を求めている事案である。

 2 本件における争点
  (1) 被告脚本による原告脚本の著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の有無(争点1)
  (2) 被告番組による原告脚本の著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の有無(争点2)
  (3) 被告脚本による原告映画の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の有無(争点3)
  (4) 被告番組による原告映画の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の有無(争点4)
  (5) 差止・廃棄請求の可否等(争点5)
  (6) 損害の内容及びその額(争点6)
  (7) 謝罪広告・放送の必要性等(争点7)

なお(5)〜(7)は権利侵害が認められた場合にのみ問題となるものなので、権利侵害を否定した本判決は検討していない。


争点1については、

 1 被告脚本による原告脚本の著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権))侵害の有無(争点1)
  (1) 「翻案」(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照),既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア等において既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
    したがって,被告脚本が原告脚本を翻案したものと評価されるためには,被告Cが,原告脚本に依拠して被告脚本を作成し,かつ,被告脚本から原告脚本の表現上の本質的な特徴を直接感得することができることが前提となるが,その際,具体的表現を離れた単なる思想,感情若しくはアイデア等において被告脚本が原告脚本と同一性を有するにすぎない場合には,翻案に該当しないというべきである。

と、「江差追分」事件の最高裁判決の判断をもとに検討している。
なお、本判決のネットで見られる評釈等は、
 http://www.soei.com/japan/law/jiken-esasioiwake.htm
 http://park5.wakwak.com/~chomsky/judgment/010628kitanohato.html
 http://www.netlaw.co.jp/hanrei/esa.html など。(Yahoo!の検索より。内容については読んでません。)
そして、以下のように続く。

    そこで,まず,原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から直接感得することができるか否かについて判断する。
    本件において,原告らは,次の?ないし?の各類似点において原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から直接感得することができると主張している。また,原告らは,?ないし?の各類似点の主張に加えて,?ないし?の類似点が組み合わされることによって,原告脚本全体が想起されるようになり,被告脚本が原告脚本の模倣作品と評価されるとも主張している。
     ? 村人が侍を雇って野武士と戦うというストーリー
     ? 別紙対比目録1記載の9箇所(6及び11を除いたもの)の類似
     ? 西田敏行の演じた内山半兵衛と志村喬の演じた島田勘兵衛,寺田進の演じた追松と宮口精二の演じた久蔵の類似
     ? 戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現
    そこで,原告らの上記主張に即して,まず,上記?ないし?の各類似点において,原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から直接感得することができるか否かについて,検討することとする。
  (2) 前記「判断の前提となる事実」(前記第2,1(3))記載の事実及び甲9,乙1によって認められる原告脚本と被告脚本の各内容に基づき,原告脚本と被告脚本とを対比すると,次のとおりである。 
   ア 基本的なストーリー及びテーマの対比
      (略)
   イ ストーリー全体のなかでの当該エピソード及び場面の対比
      (略)
   ウ 人物設定について
      (略)
   エ 戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現について
      (略)
   オ 類似する諸要素の有機的結合について
      (略)
   カ 結論
     上記によれば,原告脚本と被告脚本とを対比すると,前記のとおりいくつかの場面において一定の共通点が認められるが,共通する部分はアイデアの段階にとどまるものであり,登場人物の人物設定についても類似するものとは認められない。また,原告脚本と被告脚本との間には,ストーリー全体の展開やテーマにおいて相違があり,結局,原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から感得することはできないから,被告脚本による原告脚本についての著作権(翻案権)及び亡黒澤の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)の侵害は認められない。

とした。つぎに、争点2については、

 2 被告番組による原告脚本の著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の有無(争点2)
  (1) 被告番組は,被告脚本に依拠してこれを翻案して製作された,被告脚本の二次的著作物であって,被告脚本とは,その著作物としての特徴を基本的に共有する関係にあるものである。
    本件において,原告らは,被告番組を原告脚本と対比すると,被告脚本に基づいて製作された部分(別紙対比目録2記載の被告番組の内容のうち,6及び11を除く部分)に加えて,「朱実が腰につけていた鈴を半兵衛が投げるシーン」(別紙対比目録2の被告番組の内容6)及び「武蔵が地面に突き立ててあった刀を抜くシーン」(別紙対比目録2の被告番組の内容11。別紙対比目録2の被告番組の内容のうち,6及び11のシーンは被告脚本にはない。)において原告脚本(別紙対比目録1記載の原告脚本の内容)と類似し,被告番組は原告脚本の著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害すると,主張している。
  (2) そこで検討するに,
      (略)
    上記のとおり,被告番組は被告脚本の二次的著作物であって,脚本とこれにより製作された番組という関係上,被告番組は被告脚本の表現上の本質的な特徴を同様に有するものであるところ,前記「判断の前提となる事実」(前記第2,1(3))記載の事実及び甲9,24により認められる被告番組及び原告脚本の内容に照らせば,原告らが類似点として挙げる上記の各点について原告脚本と対比する上では,被告番組においては,被告脚本の特徴に付け加えるべき点はない。
    したがって,前記1(争点1についての判断)において説示したのと同様の理由により,上記?ないし?については,これから原告脚本の表現上の本質的な特徴を感得できるものとは認められない。
  (3) 次に,原告らは,被告番組のうち別紙対比目録2記載の6及び11の箇所については,被告NHKが,被告脚本に基づかずに原告脚本から直接翻案したと主張しているので,これらの点について検討する。
   ア 注意を引きつけるために物を投げる場面について(別紙対比目録1及び2記載の6)
      (略)
   イ 武蔵が地面に突き立ててあった刀で戦う場面について(別紙対比目録1及び2記載の11)
      (略)
  (4) 被告番組と原告脚本の対比において,?,?及び?の類似点並びに?の類似点に加えて被告脚本に基づかずに被告NHKが原告脚本から直接翻案したと主張されている部分(別紙対比目録2記載の被告番組の内容のうち,6及び11)をも併せ考慮して,これらが組み合わされることによって,原告脚本全体が想起されるということができるかどうかについて,検討するに,上記?ないし?に被告脚本にない上記2箇所を含めて総合的に考慮して,全体的に比較しても,被告番組と原告脚本とでは,各場面のストーリー全体のなかでの位置づけが異なる上,具体的な描写も異なるものであり,被告番組から原告脚本の表現上の本質的な特徴が感得されるものではない。
  (5) 上記によれば,原告脚本と被告番組を対比すると,前記のとおりいくつかの場面等において一定の共通点が認められるが,結局,原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告番組から感得することはできないから,被告番組による原告脚本についての著作権(翻案権)及び亡黒澤の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)の侵害は認められない。

とした。つぎに、争点3については、

 3 被告脚本による原告映画の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の有無(争点3)
  (1) 原告映画は,原告脚本に依拠してこれを翻案して製作された,原告脚本の二次的著作物であって,原告脚本とは,その著作物としての特徴を基本的に共有する関係にあるものである。
    本件において,原告らは,被告脚本を原告映画と対比すると,上記2(2)記載の?,?及び?の類似に加えて別紙対比目録1における被告脚本の内容(ただし,6及び11を除く。)は,別紙対比目録2記載の原告映画の内容(ただし,6及び11を除く。)と類似するなどとして,被告脚本は原告映画の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害すると主張している。
  (2) そこで検討するに,原告らが被告脚本の内容が原告映画の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害する理由として述べるところは,被告脚本による原告脚本の著作権及び著作者人格権侵害の理由として述べるところと同様である。
    上記のとおり,原告映画は原告脚本の二次的著作物であって,脚本とこれにより製作された映画という関係上,原告映画は原告脚本の表現上の本質的な特徴を同様に有するものであるところ,前記「判断の前提となる事実」(前記第2,1(3))記載の事実及び甲10,乙1により認められる被告脚本及び原告映画の内容に照らせば,原告らが類似点として挙げる上記の各点について原告映画と対比する上では,原告映画においては,原告脚本の特徴に付け加えるべき点はない。
    したがって,前記1(争点1についての判断)において説示したのと同様の理由により,被告脚本については,これから原告映画の表現上の本質的な特徴を感得できるものとは認められない。
  (3) 上記によれば,原告映画と被告脚本を対比すると,いくつかの場面等において一定の共通点が認められるが,結局,原告映画の表現上の本質的な特徴を被告脚本から感得することはできないから,被告脚本による原告映画についての亡黒澤の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)の侵害は認められない。

とした。さいごに、争点4については、

 4 被告番組による原告映画の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の有無(争点4)
  (1) 被告番組は,被告脚本に依拠してこれを翻案して製作された,被告脚本の二次的著作物であって,被告脚本とは,その著作物としての特徴を基本的に共有する関係にあるものである。一方,原告映画は,原告脚本に依拠してこれを翻案して製作された,原告脚本の二次的著作物であって,原告脚本とは,その著作物としての特徴を基本的に共有する関係にあるものである。
    本件において,原告らは,被告番組を原告映画と対比すると,上記2(2)?,?及び?の類似に加えて,被告脚本に基づいて製作された部分(別紙対比目録2における被告番組の内容。ただし,6及び11を除く。)並びに「朱実が腰につけていた鈴を半兵衛が投げるシーン」(別紙対比目録2の被告番組の内容6)及び「武蔵が地面に突き立ててあった刀を抜くシーン」(別紙対比目録2の被告番組の内容11。別紙対比目録2の被告番組の内容のうち6及び11のシーンは被告脚本にはない。)において原告映画(別紙対比目録2記載の原告映画の内容)と類似するなどとして,被告番組は原告映画の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害すると主張している。
  (2) そこで検討するに,原告らが被告番組の内容が原告映画の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害する理由として述べるところは,被告番組による原告脚本の著作権及び著作者人格権侵害の理由として述べるところと同様である。
    上記のとおり,原告映画は原告脚本の二次的著作物であって,脚本とこれにより製作された映画という関係上,原告映画は原告脚本の表現上の本質的な特徴を同様に有するものであるところ,前記「判断の前提となる事実」(前記第2,1(3))記載の事実及び甲10,24により認められる被告番組及び原告映画の内容に照らせば,原告らが類似点として挙げる別紙対比目録2記載の各点について被告番組と対比する上では,原告映画においては,原告脚本の特徴に付け加えるべき点はない。
    したがって,前記2(争点2についての判断)において説示したのと同様の理由により,原告らの主張する被告番組の上記の各点については,これから原告映画の表現上の本質的な特徴を感得できるものとは認められない。
    なお,原告映画は原告脚本に基づいて製作され,原告脚本の表現上の本質的な特徴を同様に有するものであり,被告番組は被告脚本に基づいて製作され,被告脚本の表現上の本質的な特徴を同様に有するものであるが,原告映画と被告番組はともに映画の著作物であることから,これを対比する場合,上記の検討に加えて,映像として表現されている各場面のカメラワーク,カット割り,音声等の画像特有の点をも対比するのが相当であるところ,原告映画は,各画面において上記の各点においてその技法に優れ,高度の芸術性を有するものであるが,本件において原告らの主張する各類似点について被告番組と対比を行う上においては,特に特定の場面の画像についてその映像上の技法・特徴を付加して対比を行うまでの必要は見受けられない(原告らは,「戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現」について,特に原告映画の特徴として主張するが,この点の類似をいう点についても,前記1(2)エに記載したのと同様の理由により,被告番組が原告映画の表現上の本質的な特徴を感得させるということはできない。)。
  (3) 上記によれば,原告映画と被告番組を対比すると,いくつかの場面等において一定の共通点が認められるが,結局,原告映画の表現上の本質的な特徴を被告番組から感得することはできないから,被告番組による原告映画についての亡黒澤の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)の侵害は認められない。

 5 結論
   以上によれば,被告脚本及び被告番組は,原告脚本についての著作権(翻案権)並びに原告脚本及び原告映画についての亡黒澤の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害するものではない。
   したがって,その余の点について判断するまでもなく,原告らの請求は,いずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
     東京地方裁判所民事第46部
           裁判長裁判官   三  村  量  一
              裁判官   古  河  謙  一
              裁判官   吉  川     泉

 あてはめ部分を詳細に見る余裕はないのだが、判決文からは裁判官が「七人の侍」という作品に相当の敬意を払っているかのように読める。
 ところで、判決で両作品についての理解を示しているが、そのような主観的理解を示さないと判決できないという最高裁判所判決から導かれる「被告脚本から原告脚本の表現上の本質的な特徴を直接感得することができる」かどうかという判断基準が果たして妥当かどうかという疑問がる。さらにいえば仮に感得できたとしても、原作品に依拠していなければ問題とならない。この点、原告は、「原告脚本及び原告映画は,いやしくも時代劇の製作に関与する者であれば一度は見るはずの作品であることから,被告らが原告脚本及び原告映画に依拠して被告脚本及び被告映画を製作したことに疑問の余地はない。」というが、「一度は見るはずの作品である」かどうかで依拠を判断してよいものか。この点について判決文は何ら触れていないと思われるのだが、これで「依拠」を認めるのならば、著作物を知ればしるほど侵害となりかねない。
 どのような場合に翻案権侵害を認めるか、かなり奥の深い問題であるが、創造活動が何らかのかたちで既存の表現物に依拠している以上、安易に翻案権侵害を認めるべきではない。 
 いずれきちんと議論を整理したいところである。