人権擁護法案(その1)

ちょっと現在法案そのものをみていないので、今話題のものについてはなんともいえない。
そこで、一般論として人権保護法案について少し考えてみたい。
政府が人権を保護するための法案を策定する。このこと自体は、何ら問題はない。
むしろ、世間でいう「人権」保護の要請されているといっても過言ではない。
しかし、政府がそのような私人間での人権保護政策を実施することによって、
政府自身が国民の人権を侵害しないか、ということを考えなくてはならない。
憲法上の人権はまずこの意で捉えなければならず、
私人間での人権保護政策の実施を口実に国家に拠る人権侵害が行われてはいけない。
人権保護法で言論規制を行う場合、この観点からの検討を忘れてはならない。
もちろん、表現の自由言論の自由の名のもとに、どのような表現活動・発言も許されるわけではない。
しかし、許されない発言を政府が恣意的に判断することがあってはならないことはもちろん、
規制されるべき表現、言論は、目的達成のためのやむにやまれぬものでなければならない。
したがって、抽象論として、名誉毀損的発言、差別的発言、わいせつ表現(煽動発言)は、
一定の場合に発言することそのものを規制する、ということ自体は肯定してよいように思われるが、
どのような発言が具体的に禁じられるものにあたるかは、別途慎重に検討されなければならない。


ごく一般論として、これによって一部の匿名による差別的表現が規制されることは許されても、
ドイツにおける「アウシュビッツの嘘」規制のようなことが許されるかというと疑問が残る。
たとえ、インターネットが海外から閲覧可能で、海外では規制されうる表現であっても、
日本国政府がそれを規制することは憲法上許されないのである。
(そうでないと、インターネットは一番法規制の厳しい国に適合的でなければならないことになる。)
人権擁護法が規制の対象となる表現活動による人権侵害の態様が、日本国憲法上、
本当に必要な限度のものであって、そうでない表現行為が萎縮しないものであるなら別論、
そうでなければ問題なのである。


もう一つ問題となるのは規制システムである。
たとえばわいせつ表現の処罰や名誉毀損表現の処罰は刑事裁判によりなされる。
名誉毀損の民事裁判だって、裁判という司法権によってなされるのである。
これに対し、人権擁護法の被差別者救済措置が「行政権」によって行われるということである。
つまり、一次的には行政機関が違法性の判断をすることになるのである。
また、人権擁護の名のもとに、人権委員や人権擁護委員が、表現の自由という民主制にとって重要な人権を
侵害するおそれもある。
さらに、仮にこれを肯定するとしても、人権委員等からの表現の自由という人権侵害行為に対する
人権救済手続が整備されているかどうかも重要であろう。つまり、表現者に対する救済手続が必要である。
これがなければ、人権擁護法という名の人権侵害法でしかないというべきであろう。
また、当事者間の公平さえも害されることになろう
人権委員や人権擁護委員による人権侵害にどのような担保を設けているか、これも重要であろう。

人権擁護法案提出先送り 与謝野氏、調整に努力
http://www.sankei.co.jp/news/050311/sei066.htm
(2005.3.11 22:12追記)