Pope John Paul II Dies at 84

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)逝去された。
84歳だった。
その報道のなんと早かったこと。
ローマ教皇庁の発表が午前5時で(http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/pope/index.htm)、
日本の報道で確認したもののうち早いもので、

05:16 ローマ法王が死去。ローマ法王庁発表。日本時間3日午前4時37分、84歳。東欧の民主化や宗教和解に大きな足跡。
http://www.sankei.co.jp/news/sokuhou/sokuhou.html

がある。
ちなみに、昭和天皇崩御時の報道はというと、6:33の崩御で、共同通信が7:46、宮内庁長官発表が7時55分。
確かに時代は違うけど、う〜ん。遅いね。と思ったのでした。
参考:http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no.28.htm
この差は全国10億7000万人以上のカトリック教会の頂点と、日本国民1億2千万人あまりの象徴との違いなのだろうか?
単にローマ教皇庁宮内庁との意識の違いのように思うが…。
ちなみに、バチカンのサイト。
http://www.vatican.va/phome_en.htm
カトリック中央協議会(日本)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/index.htm
なお、ローマ教皇逝去関連のニュースは上記がくわしいです。


さて、結構早い時間に掲載された記事に以下のものがある。

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去
2005年04月03日05時46分
 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、バチカンの法王宮殿で死去した。四半世紀以上にわたる在位中、他宗教と対話や和解を進め、世界10億人のカトリック教徒の精神的な支柱として大きな足跡を残した。発言は母国ポーランドをはじめ東欧諸国の変革にも影響を与えた。104回もの外国訪問を重ね、「空飛ぶ聖座」と呼ばれる活発な外交でイラク戦争にも強く反対した。
 法王死去にともなう次期法王選挙(コンクラーベ)は15〜20日後をめどに行われる見込みだ。世界中に散らばる80歳未満の枢機卿約120人が、義務として招集される。新法王は参加者の互選で決まる。
 法王は2月、インフルエンザの悪化と呼吸困難で2度入院し、気管切開の手術を受けた。3月13日に退院したが、持病のパーキンソン病の進行が加わり徐々に体力が衰え、3月末の復活祭やそれに伴う一連の行事を78年の即位以来、初めて欠席。声が出せない状態が続いていた。
 1920年5月18日にポーランドの古都クラクフ近郊で生まれた。本名はカロル・ボイチワ。ナチス・ドイツ占領下、地下組織の神学校で哲学・神学を学んだ。戦後司祭になり、63年にクラクフ大司教、67年に枢機卿
 78年10月16日、在位34日で死去した前法王ヨハネ・パウロ1世に代わって法王に選出され、同22日に即位した。イタリア人以外の法王は、16世紀のオランダ出身のハドリアヌス6世以来455年ぶりだった。
 81年5月にはサンピエトロ寺院で狙撃されたが一命をとりとめた。
 最も力を入れたのは、平和の訴えだった。「暴力と武器は問題を解決しない」と繰り返し、91年の湾岸戦争などに強く反対。03年のイラク戦争前は特使をイラクホワイトハウスへ送り込み、戦争回避の説得を続けた。
 カトリックの教義においては超保守的だったが、対外関係では「開かれた教会」を目指して多くの改革にも着手。他宗教と協調を図る柔軟路線へ転換した。11世紀にカトリックと分裂した東方教会(正教)をはじめ、16世紀の宗教改革で分かれた新教諸派と対話を重ねた。
 東欧改革をはじめとする世界政治にも大きな影響を与えた。戒厳令下の83年に母国ポーランドへ戻り、弾圧されていた自主管理労組「連帯」を支持。「モラルの勝利になるだろう」という法王の励ましは、社会主義政権への抵抗運動の精神的な支えになった。
 81年2月に来日し、広島、長崎などを訪問した。広島では「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うこと。広島を考えることは、平和に対しての責任を取ること」と軍縮核廃絶を訴える平和アピールを発表した。
http://www.asahi.com/international/update/0403/003.html

時刻をみれば、59分後の記事。
ここ数日の今日の容態からすれば、報道機関が予定稿を準備していたように思われるのだが、
それでも、59分。産経が05:16に速報を掲載しているが、同時刻に伝わったとして、それから40分。
最初の1行の時刻だけが今の情報なので、もう少し早くできたろうにとも思うが、
そこは死亡記事なだけに露骨に予定稿にはできないのだろうか、とも思ったりします。
現場はどのようにされているのでしょうか。
他の記事も同じようなところをみれば、実務的にはこれが限界なのかなぁ?
とすれば、生のテレビ映像の方がネットより優れているということなのでしょう。

さて、本名カロル・ボイチワとは、はじめて聞いた気がします。
「在位34日で死去した前法王ヨハネ・パウロ1世に代わって法王に選出され…」
まるで大正時代と昭和時代といった感じ。
それにしても、「John Paul II」が「ジョン・ポール2世」ではなく「ヨハネ・パウロ2世」となるのは、なぜに?
まぁ、聖書の訳が「John」が「ヨハネ」で「Paul」が「パウロ」だからなんでしょうが、
元の聖書の音は「ヨハネ」「パウロ」なのかなぁ?
ちなみに、ローマ法王ローマ教皇については、http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/pope.htm
ここでは、国名と言うよりは宗教指導者としてのヨハネ・パウロ2世を記述しているので、ローマ教皇と記載しています。


はてな」でも、ここ数日ローマ教皇関係の質問がでています。

ローマ法王という存在は、宗教的にどのような意味を持つのでしょうか?国家を超えて、宗派を超えて世界中のキリスト教徒にとって重要な人物なのですか?ちなみに、どのすればなれるのでしょうか?国籍は?評価は?・・・わからないことだらけです。

ローマ法王 John Paul II は日本人/あなたにとってどういう存在?

今朝、悲しいニュースが伝えられました。主は教皇ヨハネ・パウロ二世を現地時間4月2日午後9時37分(日本時間4月3日午前4時37分)にみもとにお召しになりました。長年にわたりカトリック教会を導き、全世界の人々の和解と平和を訴え続けた教皇の逝去に際して深い悲しみを覚えます。日本のマスコミは、「法王」としておりますが、カトリック中央協議会では1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにして、たびたびマスコミ各社に「ローマ教皇という名称を使ってください」とお願いしていますが実現していないようです。http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/pope.htm天皇制との関係など様々な文章や憶測があるようです。テレビ局または新聞社が公式に発表したものがあれば、教えてください。


最後に、筆者としては、ヨハネ・パウロ2世が他宗教との対話ということを重んじたことはすごいことだと思っています。
日本人の考える言葉から感受する「宗教対立」と実際の「宗教対立」というのは余りにも違うものです。
多くの日本人にとって「宗教」はそれほど重みのあるものではなく(よくいえば、宗教的に寛容?)、
むしろ胡散臭いものとして捉えられているようなものでさえあります。
しかし、実際そいうものではありません。だからこそ、宗教に起因して戦争がおこったりしているわけです。
政治がからめばブッシュさんなりが武力をもって、あるいは経済的圧力をもって紛争を解決するでしょうが、
宗教的な遺恨は宗教的にしか解決できません。
そんななかで、他宗教の指導者との対話を試みたとのは、やはり人類にとっては重要だったのではないかと、
世俗的な筆者は思っているわけです。(宗教的にどうかは筆者にはわかりかねます)
安らかな眠りをお祈りします。


学問としての宗教、バチカンの制度にも興味あるのだが、そこまで手がまわらないだろうなぁ…。
それにしても、次期教皇ってある意味すごいプレッシャーだと思うのだが…。