文化庁著作権課の指摘の問題点

群馬県教委作成「子どもルール本」、米国人著作と酷似
 群馬県教委が小学生に無料配布するために作成した小冊子「ぐんまの子どものためのルールブック50」の内容が、米国人教師の著作と酷似していることが分かった。
 県教委は「アイデアを借りたもので盗用ではない」としているが、県民から指摘があるまで、参考にした著作があったことを明らかにしていなかった。
 小冊子は、昨年末に県民から募集した1736点から「だれも仲間はずれにしない」「きれいにあとかたづけをしよう」など50のルールを選んで作成された。
 しかし、構成は、米国人教師ロン・クラークさんが著した「みんなのためのルールブック」(亀井よし子訳、草思社)とそっくり。いずれも50のルールを理由とイラスト付きで紹介、うち15がほぼ同じだった。
 クラークさんの「しかられている人のほうを見ない」に対し、小冊子は「しかられている友だちをジロジロ見ない」。「相手の目を見て話そう」は「相手の目を見て話をしよう」、「もらったプレゼントに文句を言わない」は「人からもらった物に文句を言わない」などとなっている。
 こうした内容について、県民から「あたかも自分たちのアイデアのように前面に押し出すのは問題では」との指摘が寄せられた。
 指摘に対し、県教委総務課は「著作権情報センターに問い合わせたところ、『アイデアならば盗用ではない』とのことだった。宣伝になってしまうとも考え、草思社側と連絡も取らず、クラークさんの名前も出さなかった」と説明している。
 草思社の編集担当者は、営利目的でないとして問題視しない考えだが、「多くの教育委員会から部分的な引用について問い合わせがあるが、丸ごと冊子を作ったというのは初めて聞いた」と話している。
 文化庁著作権課は「アイデアを使う分には別の著作物と認められ、著作権法には触れない。ただ、提訴される場合もあり、出版社の許諾を取った方が確実ではないか」と指摘している。
(読売新聞) - 6月11日9時21分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050611-00000401-yom-soci

著作権の保護対象はあくまで表現であって、アイデアではない、ということですが、
なにが表現で何がアイデアか区別が難しいこともあるのも事実で、今回のが厳密にどちらなのかはわからない。
ただ、県民の苦情が、本当に「あたかも自分たちの“アイデア”のように前面に押し出すのは問題では」というのであれば、
それはアイデアであって、著作権法の守備範囲ではなく、あくまでモラルの問題?ということかもしれない。


ところで、文化庁著作権課は「アイデアを使う分には別の著作物と認められ、著作権法には触れない。
ただ、提訴される場合もあり、出版社の許諾を取った方が確実ではないか」というが、
これでは著作物でないものに自称著作者のコントロール権を認めていることになる。それは明らかにおかしい。
著作物であればその利用には許諾が必要であり、そうでないのならばいらない、これが法の建て前である。
にもかかわらず、本来不要な許諾を得た方がいいというのであれば、
あいまいな著作権法の存在そのものが表現の自由に対する過度の制約であるというべきであり、
少なくとも文化庁著作権課はそのことを自白しているということができる。
何のために著作物にのみ権利を与え、また権利制限を認めているのか、ということを考えると、
文化庁著作権課のこの指摘は、きわめて法の本質に反したものと言わざるを得ない。

ぐんまの子どものための50のルール
http://www.pref.gunma.jp/kyoi/01/rule/rule1.html

みんなのためのルールブック ―あたりまえだけど、とても大切なこと

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