棋泉vs米長邦雄訴訟(10)前回(8)更新からのいろいろ(2)

棋泉vs米長邦雄訴訟
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050520/1116520052
棋泉vs米長邦雄訴訟(2)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050521/1116607505
棋泉vs米長邦雄訴訟(3)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050523/1116786786
棋泉vs米長邦雄訴訟(4)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050525/1116955919
棋泉vs米長邦雄訴訟(5)/法律書の発行差し止め(2)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050526/1117047990
棋泉vs米長邦雄訴訟(6)第1回口頭弁論(2005.6.21)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050622/1119381587
棋泉vs米長邦雄訴訟(7)訴状要旨と答弁書公表
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050630/1120062959
棋泉vs米長邦雄訴訟(8)第2回口頭弁論は延期?非公開期日?
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050729/1122573987
棋泉vs米長邦雄訴訟(9)前回(8)更新からのいろいろ(1)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050920/1127146029

つづき。今度は、原告主張の点。
とりあえず、どの点に創作性を認めうるか、という点を探りつつ。
ほんとはこれ原告の仕事です。>マリオ氏。
それにしても、似ていることはわかるけど、複製権侵害かはわかりません。
これをきちんとしないのであれば、請求棄却です。

中級比較画面
 http://www.koma.ne.jp/tousaku/chukyu01.htm

図1について、
まず文章について、両文章は異なっており問題ないでしょう。
「」内は格言ですし、このことを説明しようとすればある程度文章は類似します。
著作物性を認めても、個別に分析する限りにおいては、全く同じ文章ではないですし、複製とはいえないでしょう。
(ただし、編集物としての全体の一部としては、肯定する要素ともなりえますが、原告の主張ではないようです。)
一方、この説明に同じ局面を用いている点については、なぜ?という疑問が残ります。
流れがわからないのですが、この局面を用いつつ説明した点をあわせて考慮すれば、
この点に何らかの表現上の創作性が存することを否定することができず、被告がまったく同じ局面を用いたことは、
原告に多少は有利といえるかもしれません。この点を、きちんと主張する必要があるでしょう。
これを欠かない単なる画面比較が無意味であることは、筆者が何度も指摘していることろです。
ただ、とても遠回しは表現にしたように、この局面選択に著作物性を認めるだけの創作性があるかというと微妙です。
もう少し大きい単位での著作物性を認める創作性の一要素になることはあるでしょうけど。


図2〜図4も、ほぼ同様のことがいえます。
同じ棋譜を用いて手順に従って解説しているのでしょうか?
全体の中でその棋譜の取捨選択をしてあることを創作的に表現したのであれば、複製権侵害といえそうですが、
すくなくとも、それを断片化してしまうと、その棋譜の解説としてはそうなるので、全く同一などでないと、
著作権侵害とはいいにくいように思います。
加えて、将棋界でよくある解説として、この説明が用いられていれば、ますます侵害成立が難しくなるように思います。
つまり、この手順がよく指される手順である場合には(みた感じ初期の手順のようですし)、
説明にこの手順を使ってもおかしくないように思います。
ちなみに、中級比較画面の図2は米長氏のサイトの図12と同じです。
この点、米長自身氏が図12等に関して
「16図のうちのどれかはどこかで見たという方がおりましたら、本のタイトル名や雑誌、テキスト、CD-ROM等教えて下さい。」
と記載しているのは、前回記述したとおりですが、これをどう理解するかは難しいところ。
このことから、あまりこの譜を用いて説明するということは一般的でないと判断することも可能で、
このホームページの記載は今後の訴訟の流れ次第では、本人の不利益にもなりかねないのかなぁ?と思わなくもありません。


図5〜図6は一連の流れにあるようです。
それぞれ個別の画面上での表現について、両表現に表現の上の創作性が実質的に同一かいうとはやり認めにくいように思う。
ただし、これが図5〜図6と一連の流れとなったときに、同一性は認めやすくなる。
結局は将棋の解説文(解説書)がどれだけ似ていれば著作権侵害になるのか、と同じことになるのだが、
全体(章ごと・節ごと)の構成なども考慮すれば、その全体として、
両表現上の創作性が実質的に同一といえるという余地は十分なると思われます。
(限界点がどこにあるのか、というところが問題になりますし、気になるところですが、ここで考察することは割愛します。)

上級比較画面
 http://www.koma.ne.jp/tousaku/joukyu01.htm

も含め、その他の点については割愛。


※原告サイトの被告サイトの図対照表

図7…上1   図10…上15   図13…中5   図16…中7   
図8…上30   図11…上21   図14…上26
図9…上12   図12…中2   図15…上28


被告サイト
図7〜11 http://www.yonenaga.net/tyosakuken/tyosakuken3.htm
図12〜16 http://www.yonenaga.net/tyosakuken/tyosakuken4.htm
原告サイト
中(中級比較画面) http://www.koma.ne.jp/tousaku/chukyu01.htm
上(上級比較画面) http://www.koma.ne.jp/tousaku/joukyu01.htm


最後に、棋泉vs米長邦雄訴訟(5)/法律書の発行差し止め(2) - 言いたい放題でも紹介した、
法律書差し止め判決(高部裁判長)の一部を再度引用します。

3 争点(2)イ,ウ(著作物性,複製権及び翻案権侵害の成否)について
(1) 著作物の複製(著作権法21条,2条1項15号)とは,既存の著作物に依拠し,その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう(最高裁昭和50年(オ)第324号同53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145頁参照)。ここで,再製とは,既存の著作物と同一性のあるものを作成することをいうと解すべきであるが,同一性の程度については,完全に同一である場合のみではなく,多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうことのない,すなわち実質的に同一である場合も含むと解すべきである。
  また,著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的な表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。
  そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法2条1項1号),既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,複製にも翻案にも当たらないと解するのが相当である(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
  このように,複製又は翻案に該当するためには,既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物との同一性を有する部分が,著作権法による保護の対象となる思想又は感情を創作的に表現したものであることが必要である(著作権法2条1項1号)。そして,「創作的」に表現されたというためには,厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく,筆者の何らかの個性が表現されたもので足りるというべきであるが,他方,文章自体がごく短く又は表現上制約があるため他の表現が想定できない場合や,表現が平凡かつありふれたものである場合には,筆者の個性が表現されたものとはいえないから,創作的な表現であるということはできない。
(2) 本件における原告各文献及び被告各文献のような一般人向けの法律問題の解説書においては,それを記述するに当たって,関連する法令の内容や法律用語の意味を整理して説明し,法令又は判例・学説によって当然に導かれる一般的な法律解釈や実務の運用等に触れ,当該法律問題に関する見解を記述することが不可避である。
  既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物との同一性を有する部分が法令や通達,判決や決定等である場合には,これらが著作権の目的となることができないとされている以上(著作権法13条1ないし3号参照),複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。そして,同一性を有する部分が法令の内容や法令又は判例・学説によって当然に導かれる事項である場合にも,表現それ自体でない部分において同一性を有するにすぎず,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。
  また,手続の流れや法令の内容等を法令の規定に従って図示することはアイデアであり,一定の工夫が必要ではあるが,これを独自の観点から分類し整理要約したなどの個性的表現がされている場合は格別,法令の内容に従って整理したにすぎない図表については,誰が作成しても同じような表現にならざるを得ない。よって,図表において同一性を有する部分が単に法令の内容を整理したにすぎないものである場合にも,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。そのように解さなければ,ある者が手続の流れ等を図示した後は,他の者が同じ手続の流れ等を法令の規定に従って図示すること自体を禁じることになりかねないからである。
  さらに,同一性を有する部分が,ある法律問題に関する筆者の見解又は一般的な見解である場合は,思想ないしアイデアにおいて同一性を有するにすぎず,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,一般の法律書等に記載されていない独自の観点からそれを説明する上で普通に用いられる表現にとらわれずに論じている場合は格別,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。けだし,ある法律問題についての見解自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず,これと同じ見解を表明することが著作権法上禁止されるいわれはないからである。
  そして,ある法律問題について,関連する法令の内容や法律用語の意味を説明し,一般的な法律解釈や実務の運用に触れる際には,確立した法律用語をあらかじめ定義された用法で使用し,法令又は判例・学説によって当然に導かれる一般的な法律解釈を説明しなければならないという表現上の制約がある。そのゆえに,これらの事項について,条文の順序にとらわれず,独自の観点から分類し普通に用いることのない表現を用いて整理要約したなど表現上の格別の工夫がある場合はともかく,法令の内容等を法令の規定の順序に従い,簡潔に要約し,法令の文言又は一般の法律書等に記載されているような,それを説明する上で普通に用いられる法律用語の定義を用いて説明する場合には,誰が作成しても同じような表現にならざるを得ず,このようなものは,結局,筆者の個性が表れているとはいえないから,著作権法によって保護される著作物としての創作性を認めることはできないというべきである。よって,上記のように表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎない場合には,複製にも翻案にも当たらない。
  他方,表現上の制約がある中で,一定以上のまとまりを持って,記述の順序を含め具体的表現において同一である場合には,複製権侵害に当たる場合があると解すべきである。すなわち,創作性の幅が小さい場合であっても,他に異なる表現があり得るにもかかわらず,同一性を有する表現が一定以上の分量にわたる場合には,複製権侵害に当たるというべきである。

 本件において著作権侵害を判断するに当たっては,これらの観点から検討する必要がある。
(3) 原告は,自ら原告各文献を別紙対照表1ないし3記載の各番号に記載された各部分に分けた上,個々の原告各表現における文章ないし図表が著作物に当たり,被告各表現がそれぞれこれを侵害する旨主張するところ,いかなる単位で著作権侵害を主張するかは原告の処分権の範囲内の事項ということができる。
  そこで,以下,前記(2)の観点から,それぞれについての著作権侵害の成否を検討する。その判断は,別紙「複製権及び翻案権侵害に関する当事者の主張並びに当裁判所の判断」中,当裁判所の判断欄記載のとおりであり,複製権侵害が認められるのは,被告表現1−14,被告表現2−2−66,被告表現2−2−76であり,それ以外は複製権及び翻案権のいずれも侵害しない。
東京地判平成17年5月17日平成15年(ワ)第12551号等
http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/c617a99bb925a29449256795007fb7d1/a28ba7375312b52f4925700a002ad420?OpenDocument

インターネットでは、具体的な判断はわからないのだが、

(別紙「対照表1」,同「対照表2−1」,同「対照表2−2」,同「対照表3」,同「複製権及び翻案権侵害に関する当事者の主張並びに当裁判所の判断」については省略)

下線部を将棋解説におきかえて考えるとある程度の回答がでるのではないかと思う。
(すべての両者の主張を知るわけではないけれども、憶測も含めて考えると、)
米長氏は個々の説明に著作権が認められないと考えているようで、そのこと自体は間違ってないと思うのだが、

一定以上のまとまりを持って,記述の順序を含め具体的表現において同一である場合には,複製権侵害に当たる場合があると解すべきである。すなわち,創作性の幅が小さい場合であっても,他に異なる表現があり得るにもかかわらず,同一性を有する表現が一定以上の分量にわたる場合には,複製権侵害に当たるというべきである。

というように、「一定以上のまとまりを持って,記述の順序を含め具体的表現において同一である場合には,
複製権侵害に当たる場合がある」のであるから、この点から考えると、
原告の請求が(全部ではないにせよ)認容される可能性は十分にあると思われる。
ただ、原告は「一定以上のまとまりを持って,記述の順序を含め具体的表現において同一である」ことを主張しなければらない。
米長氏のいう「駒の使い方のテスト問題や解説文が問題とのこと。」というのであれば、やはり難しいのではないかと。
くどいようだが…。
そして、さらにくどいようだが、上記訴訟での実際の当事者の主張もわからないのだが…。
これがわかれば、ある程度はわかるんだろうけど…。


中途半端だが、このへんが現状でのいろんな意味での限界なので、また進展があれば次回以降に。
原告の主張がよくわからないので、解説がふわふわしてしまいましたが、
こちらも探り探りなので、その点はご容赦いただければと思います。
なお、さらにさらにくどいようですが、以上はあくまで筆者の憶測に基づく私見です。