船橋西図書館焚書事件差戻審

もうちょっと古い話になりましたが、船橋西図書館焚書事件最高裁判決 - 言いたい放題の続報。
ちょっと判決文がわからないので、新聞記事の伝えるところから少しだけ。

図書館蔵書の無断廃棄差し戻し審、船橋市に賠償命令
 千葉県船橋市立西図書館で、著書を無断で廃棄された作家・井沢元彦氏ら7人と「新しい歴史教科書をつくる会」が、同市に計2400万円の損害賠償を求めた訴訟の差し戻し後の控訴審判決が24日、東京高裁であった。
 浜野惺裁判長は、廃棄による権利侵害を認めたうえで、「廃棄された蔵書がその後、図書館に備え付けられている」などと指摘し、原告それぞれについて3000円、計2万4000円の賠償を命じた。原告側は賠償額を不服として上告する方針。
 判決によると、同図書館の女性司書は2001年8月、原告らへの反感から、原告の著書計約30冊を独断で廃棄。1、2審判決は「原告の権利を侵害していない」として請求を棄却したが、最高裁は今年7月、「著作者は、公立図書館で著書が不公正な取り扱いを受けない利益がある」と判断。損害額の認定のため、東京高裁に審理を差し戻していた。
(2005年11月24日19時32分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051124i311.htm

蔵書廃棄訴訟、著者1人あたり3千円賠償命令 東京高裁
2005年11月25日00時24分
 千葉県船橋市立図書館の司書が「新しい歴史教科書をつくる会」や関係者の著作などを処分したことをめぐり、著者らが「人格的利益を侵害された」として市に損害賠償を求めた訴訟の差し戻し控訴審判決が24日、東京高裁であった。最高裁が7月、違法性を認めて差し戻し、賠償額が焦点となっていたが、浜野惺(しずか)裁判長は「廃棄されたのと同じ本が再び図書館に備えられている」などとして、1人あたり3000円の賠償を同市に命じた。
 1人あたり300万円の賠償を求めていた著者側は「3000円では図書を捨てたことへの懲罰にならず、安すぎる」と、再上告を検討することを明らかにした。
 判決は、今年9月、在外邦人の選挙権をめぐる訴訟で国に1人あたり5000円の賠償を命じた最高裁大法廷判決を踏まえ、「図書が再び備えられていることなど一切の事情を総合勘案すると、3000円が相当」と述べた。訴訟費用の負担については、原告側99.9%、市側0.1%とした。
http://www.asahi.com/national/update/1125/TKY200511240454.html

教科書問題:図書館蔵書廃棄 千葉・船橋市に賠償命令−−東京高裁
 ◇「つくる会」の本廃棄で
 千葉県の船橋市立西図書館の蔵書だった著書を捨てられ精神的苦痛を受けたとして、作家の井沢元彦氏や「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーら7個人1団体が、同市に1人当たり300万円の損害賠償を求めた訴訟の差し戻し審で、東京高裁は24日、計2万4000円の支払いを命じる判決を言い渡した。浜野惺(しずか)裁判長は「図書館が再び閲覧できるようにしたことなどを勘案すると、著作者が受けた損害に対する賠償としては1人当たり3000円が相当」と述べた。
 最高裁は7月、「著作者には公立図書館で自分の思想や意見を市民に伝える法的利益がある」との初判断を示し、原告の請求を退けた1、2審判決を破棄して同高裁に差し戻していた。
 判決によると、同図書館の司書は「つくる会」への反感から01年8月、会員らが編著した107冊を独断で処分した。【武本光政】
 ◇「つくる会」の藤岡信勝副会長の話
 賠償額は極めて不当。最高裁の画期的な判決の意義を空洞化させるもので、上告も検討する。
毎日新聞 2005年11月25日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20051125ddm012040014000c.html

上告審判決(最一小判平成17年7月14日平成16年(受)第930号 損害賠償請求事件)によれば、

 2 本件は,上告人らが,本件廃棄によって著作者としての人格的利益等を侵害されて精神的苦痛を受けた旨主張し,被上告人に対し,国家賠償法1条1項又は民法715条に基づき,慰謝料の支払を求めるものである。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 (1) 図書館は,「図書,記録その他必要な資料を収集し,整理し,保存して,一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資することを目的とする施設」であり(図書館法2条1項),「社会教育のための機関」であって(社会教育法9条1項),国及び地方公共団体が国民の文化的教養を高め得るような環境を醸成するための施設として位置付けられている(同法3条1項,教育基本法7条2項参照)。公立図書館は,この目的を達成するために地方公共団体が設置した公の施設である(図書館法2条2項,地方自治法244条,地方教育行政の組織及び運営に関する法律30条)。そして,図書館は,図書館奉仕(図書館サービス)のため,[1]図書館資料を収集して一般公衆の利用に供すること,[2]図書館資料の分類排列を適切にし,その目録を整備することなどに努めなければならないものとされ(図書館法3条),特に,公立図書館については,その設置及び運営上の望ましい基準が文部科学大臣によって定められ,教育委員会に提示するとともに一般公衆に対して示すものとされており(同法18条),平成13年7月18日に文部科学大臣によって告示された「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」(文部科学省告示第132号)は,公立図書館の設置者に対し,同基準に基づき,図書館奉仕(図書館サービス)の実施に努めなければならないものとしている。同基準によれば,公立図書館は,図書館資料の収集,提供等につき,[1]住民の学習活動等を適切に援助するため,住民の高度化・多様化する要求に十分に配慮すること,[2]広く住民の利用に供するため,情報処理機能の向上を図り,有効かつ迅速なサービスを行うことができる体制を整えるよう努めること,[3]住民の要求に応えるため,新刊図書及び雑誌の迅速な確保並びに他の図書館との連携・協力により図書館の機能を十分発揮できる種類及び量の資料の整備に努めることなどとされている。
 公立図書館の上記のような役割,機能等に照らせば,公立図書館は,住民に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができる。そして,公立図書館の図書館職員は,公立図書館が上記のような役割を果たせるように,独断的な評価や個人的な好みにとらわれることなく,公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うものというべきであり,閲覧に供されている図書について,独断的な評価や個人的な好みによってこれを廃棄することは,図書館職員としての基本的な職務上の義務に反するものといわなければならない。
 (2) 他方,公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。

という。
下線を付した部分からすると、不公正な取扱をして遺棄したことが、人格的利益侵害だというのである。
そうだとすれば、「廃棄された蔵書がその後、図書館に備え付けられている」ということによって、
不公正な取扱いによる遺棄による慰謝が、再度の備え付けによって回復されるのかということが問題となる。
もし、図書館への蔵書について人格的利益があるというのであれば、再度の備置により慰謝の必要性は減じられることになる。
しかしながら、本件において人格的利益が認められるのはあくまでも、恣意的を遺棄をされないという点であって、
その廃棄という“行為”について慰謝料請求を行い、その額を決すべきものである。
そうだとすれば、事後に再度の備置があったからといって、損害が回復されるかどうかということは必ずしもリンクしないように思う。
もちろん、遺棄された“状態”(蔵書されていないこと)とみれば、損害が回復されたことは慰謝料を減額する要素たりえるが、
その理解は難しいように思う。


また、朝日新聞の報道によれば、在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件の判決にも触れたそうなのでみておきたい。
そこで多数意見をみると、

…上告人らの被った精神的損害の程度について検討すると,本件訴訟において在外国民の選挙権の行使を制限することが違憲であると判断され,それによって,本件選挙において投票をすることができなかったことによって上告人らが被った精神的損害は相当程度回復されるものと考えられることなどの事情を総合勘案すると,損害賠償として各人に対し慰謝料5000円の支払を命ずるのが相当である。そうであるとすれば,本件を原審に差し戻して改めて個々の上告人の損害額について審理させる必要はなく,当審において上記金額の賠償を命ずることができるものというべきである。そこで,上告人らの本件請求中,損害賠償を求める部分は,上告人らに対し各5000円及びこれに対する平成8年10月21日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し,その余は棄却することとする。
最大判平17年9月14日在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件

という。
確かに、
選挙権という重要な権利の制限であったにもかかわらず「慰謝料5000円」というのであれば、3000円は必ずしも不当とはいえない。
しかし、もし[1]のように考えるとすると、ほとんどの慰謝料請求は低額になってしまう。
また、そもそも選挙権剥奪事件判決は選挙権が行使できない“状態”に対して、改善しなかったことを問題視したものであるし、
また、選挙権剥奪事件では、立法府の立法不作為の事案であったのに対して、本件は行政府の作為である。
このような点からすれば、本件と選挙権剥奪事件は同じ国賠請求とはいえ、事案が異なるといべきではないだろうか。
少なくとも伝えられている判決理由には少し疑問が残る。
また、詳細はわからないが、慰謝料請求の額についても、一律一人3000円となるものかは疑問が残る。
廃棄された冊数は全員同じなのか?それは関係ないのか?だとすればなぜ?
もっとも一律同額である点についてはつくる会側の主張がそうだったともいえ、なんともいえない。
なお、毎日新聞には、「つくる会」の藤岡信勝副会長の話として、
「賠償額は極めて不当。最高裁の画期的な判決の意義を空洞化させるもので、上告も検討する。」とある。
確かに計2400万円の請求をしていたことからすれば、計2万4000円という100分の1は少ない(だから訴訟費用は1:99)
精神的損害の算定は容易ではないし、当初の主張が妥当かというとそれはそれで疑問があるが、金額については気になるところである。
とくに朝日新聞には「3000円では図書を捨てたことへの懲罰にならず、安すぎる」とあるが、
現状で懲罰的損害賠償を考えることはできず、原告の主張その趣旨であるなら、本判決の判断で十分であろう。


ちょっと考えがまとまっていないところもあるけれども、時間があいてきたのでとりあえず。