「ガイアの夜明け〜消える高齢者の財産〜」放送倫理違反事件(2)

今更ながら「ガイアの夜明け〜消える高齢者の財産〜」放送倫理違反事件 - 言いたい放題で触れたBPO/BRCの見解がアップされています。

第27号 新ビジネス“うなずき屋”報道 テレビ東京 2006年1月17日
http://www.bpo.gr.jp/brc/kettei/k027-TX.html
理経
http://www.bpo.gr.jp/brc/kettei/s027.html

双方の主張等は、上記ホームページを参照ください。
判断部分のみ。

1.名誉・信用が侵害されたとの主張について

 申立人は、新ビジネス「うなずき屋」について事実や実態と異なる放送によって名誉権が侵害され、信用が損なわれたと申し立てている。名誉も信用も、人が社会のなかで受けている客観的評価をいい、その社会的評価を傷つけることが名誉・信用の毀損となる。本件においても、新ビジネス「うなずき屋」についての放送によって、そのビジネスを運営する申立人の社会的評価を低下させた場合には、申立人の名誉・信用が毀損されたといえる。
 しかし、報道機関の報道は国民の「知る権利」に奉仕するという意味をもつことから、仮に報道によって名誉・信用が毀損された場合であっても、報道の対象となった事項が公共の利害に関する事実にかかり(公共性)、その報道が公益を図る目的でなされ(公益性)、報道された事実が真実であることの立証があるか、または、その事実が真実であると誤信したことについて相当な理由がある場合(真実性ないし誤信相当性)には、違法性がなく、法的責任は問われないとする考え方が確立している。
 それらの点を本件放送についてみると、放送された内容は、「消える高齢者の財産」と題して、「悪徳リフォーム」や「振り込め詐欺」など高齢者の財産を狙う犯罪の手口を取材し警鐘を鳴らし、その対策を紹介するとともに、被害が急増している背景には、核家族化が進み、犯罪の標的になりやすい孤独な高齢者が増えている現状があることを、家族に代わって遺品処理をする企業や申立人が運営する「うなずき屋」などの新しいビジネスを通して描こうとしたものであって、報道の対象となった事項は、まさに公共の利害にかかわる事実に当たるといえる。
 また、本件放送は、社会に対して問題を提起するという真面目な意図の下に制作されており、ことさら申立人に対する人身攻撃を意図して制作、放送されたという事実は認められない。したがって、本件放送は公益を図る目的でなされたものとみてよい。
 申立人は、「事実と異なる報道」によって名誉・信用を毀損されたと主張しているが、申立人が事実と異なると主張しているのは、第一に、「うなずき屋」という仕事が事業としては未だ成立するに至っていないのに、それを新ビジネスとして紹介している点、第二に、「うなずき屋」の仕事について、実際の仕事の内容とは異なって、孤独な老人を相手に「うなずく」だけの仕事であるかのように紹介している点、第三に、申立人が実際に受け取っている料金はケースによって異なるのに、「料金は2時間で1万円」というナレーションと字幕スーパーによって誤った料金を表示したという点、である。
 しかしながら、これらの点については、仮に申立人の主張するところが真実であるとしても、申立人の運営する「うなずき屋」という新ビジネスを紹介した新聞報道がなされていたこと(日本経済新聞2005年5月4日付け)や申立人自身がホームページに掲載した広告記事の内容に照らせば、被申立人において、「うなずき屋」という新ビジネスが出現しており、「料金は2時間で1万円」であることを真実と信じたことに相当な理由があったものということができる。
 真実でないとの申立てがなされた上記部分以外については、現金の受け渡しのシーンを除き、申立人にかかわる放送部分において摘示された事実に虚偽はないことを申立人自身も認めており、また、信用が損なわれたことから生じたとされる損害についても証明はできないと述べている。
  したがって、以上のことから、本件放送によって申立人の名誉・信用が違法に侵害されたとまではいえないと判断する。

名誉毀損の成否については、裁判所並み(むしろより厳格に?)真実性・相当性の法理を適用しているように思います。
裁判であれば、(印象をどう扱うかは難しいですが、)
「ことさら申立人に対する人身攻撃を意図して制作、放送されたという事実は認められない」以上は、
妥当な判断のように思います。
一方、BPOがの判断の妥当性については、

BRCは、視聴者の立場にたって、迅速に問題を解決することを任務としています。
http://www.bpo.gr.jp/brc/brcp.html

ということからすれば、厳しすぎるのかなぁと思わなくもありません。
単に裁判の代替的手段ととらえるか、裁判では救済できないことの救済ととらえるかで異なります。
後にみるように「放送倫理」ということを別途検討していることからすれば、
裁判の代替的判断ということでしょうか。

2.「やらせ」であるとの主張について

 本件放送に含まれる「現金の受け渡しシーン」について、申立人は、その現金は申立人があらかじめ依頼人に渡したものを、あたかも実際に支払っているかのように見せかけたもので、悪質な「やらせ」であると主張している。
 しかしながら、本件放送における申立人にかかわる放送部分の取材・収録に際しては、申立人自身が了解した上で撮影がなされ、しかも、自らの所持金を依頼人に渡すなど、申立人自身がその「やらせ」に関与したといえるのであって、そうである以上、問題のシーンが申立人の主張するように「やらせ」であったとしても、申立人自身が権利侵害を申し立てることは、正義や公正の観念に反し、許されないといわなければならない(いわゆる「クリーン・ハンドの原則」)。
 申立人自身も、「現金の受け渡しシーン」の撮影をしたいという被申立人からの申し出に不用意に応じてしまったことを深く悔いており、その真摯さは十分に理解できるものではあるが、申立人自身が関わった「やらせ」によって自己の権利を侵害されたと主張して救済を求めることは相当でないと判断する。

やらせに本人が関与したから直ちに救済を求めるのが妥当ではない、というのは、妥当でないように思います。
確かに、そのような場合、(一般論として信義則に反し、)原則として求めるのは妥当ではないが、
信義則に反しない特段の事情があれば、救済を求めることができるというべきではないでしょうか。
もっとも、クリーンハンドであるということ自体、そのような判断を含んでいるといえなくはないですが。
申立人が、番組撮影というある種特異な空間で、そのやらせに協力せざるを得ない状況であれば、
信義則に反するとはいえず、人権救済を認めてもいいように思います。

3.放送倫理上の問題について
(1) 「現金の受け渡しシーン」について
 申立人が「やらせ」であると主張している「現金の受け渡しシーン」について、被申立人は、申立人の1万円を使って支払いのシーンを撮影したが、撮影に際してはすべて申立人本人の了解の下に行っており、また、実態に即したものであるから、事実と異なると評価をされる余地はない、と主張している。
 申立人および被申立人からの意見聴取によって明らかになったところによれば、このシーンは、実際には、被申立人の申し出に応じて、撮影前に申立人があらかじめ依頼人にお金を渡しておき、それをあたかもその場で依頼人から申立人に現金が支払われたかのように見せる演出がなされた、というものである。しかも、申立人によれば、このシーンが撮影された時の仕事に対して実際には依頼人から料金は支払われていないとのことであり、被申立人によれば、実際に料金が支払われたかどうかの確認取材はしなかったというのである。
 したがって、たとえこのシーンが申立人の了解の下に行われ、それゆえ申立人との関係において問題はないとしても、本件放送に際して「再現」であるという断りはなされていないから、このシーンを見た視聴者には、実際に現金が支払われたという誤った認識を強く植えつけられることになったことは明らかである。
 なお、放送ではこの依頼人が「うなずき屋」の常連の客であるかのように描かれているが、本委員会が申立人から聴取したところによると、プライバシーに関わる問題もあって取材・撮影に応じてくれる人がなかなか見つからず、仲介者を通じて協力を得ることとなった依頼人は、実は二年ぶりに再会した人であったというが、被申立人の側はそのような事実も認識していなかった。
  これらのことは、真実を伝えるべき報道が、過剰な演出によって事実でないことを事実であるかのように伝えた点において、視聴者に重大な誤解を与えたものであって、放送倫理に反するものといわざるを得ない。

「再現」としていないから、視聴者が当該シーンについて現実のものと誤解するから放送倫理上問題があるというだけ。
申立人の人権とは直接関係なし。

(2) 番組の趣旨と構成上の問題について
 申立人および被申立人の主張を照らし合わせると、本件番組の制作の過程で、番組の趣旨や取材意図が十分に伝えられず、取材に積極的に応じた申立人の側の意図や受け止め方との間にズレがあり、そのズレが最後まで修正されずに、取材・編集が進行し、放送に至ったことをうかがわせる事情がある。
 放送事業者には、放送法3条によって放送番組編集の自由が保障されており、被申立人に番組編集の自由が認められるのは当然のことであるが、しかし、そのことは、取材対象者に対して番組の趣旨や取材意図の十分な説明を怠ったり、取材対象者に伝えた趣旨や目的と異なる仕方で取材・収録した映像を取り扱ったりすることまで、正当化する根拠にはなり得ないであろう。また、仮に、番組の一部を部分として取り出した場合に問題はないとしても、番組全体のなかでの位置づけによっては問題を生ずる場合があるのであって、本件放送における申立人にかかわる放送部分は、そのような場合に当たるといえる。
 すなわち、本件番組の趣旨が、前述のように、高齢者の財産を狙う犯罪に警鐘を鳴らし、その対策を紹介するとともに、被害が急増している背景に標的となりやすい孤独な高齢者が増えている現状があることを伝えようとしたものであったとしても、番組の前半部において悪質な犯罪の手口を再現し、それにつづいて遺品処理業と「うなずき屋」というビジネスを取り上げ、そのあと再び一人暮らしの母親の先物取引の被害の話でしめくくり、その上で被害防止対策を紹介するという番組構成からは、申立人の運営する「うなずき屋」があたかも孤独な老人を食い物にするあくどい商売であるかのような印象を視聴者に与えかねないものであった。
 この点については、申立人の側に、過剰な演出に応じてしまったという不用意な対応があったことは否定できないが、番組づくりのプロフェッショナルとしての被申立人の側に、番組構成上、申立人の登場場面の扱いに不適切な点があったといわざるを得ない。被申立人の側に「うなずき屋」という新ビジネスについて思い込みがあり、裏づけ取材が必ずしも十分でなかったことも、その一つの要因となったといえる。
 民放連の「報道指針」では、「取材対象者に対し、常に誠実な姿勢を保つ。取材・報道にあたって人を欺く手法や不公正な手法は用いない」としており、本件においても、取材を受けた側の申立人が放送には不慣れな立場にあったことを考慮すると、取材や放送に当たっては、番組全体の趣旨・構成、申立人に対するインタビューや申立人が登場した収録シーンの位置づけ等につき、より十分な説明と番組構成上適切な扱いが必要であったといわざるを得ず、この点においても、放送倫理に反する点があったと判断する。

やらせは前述の権利侵害ではないけれども、放送倫理上は問題と。
法的に直ちに権利侵害がないといってしまうことには前述のようにどうかと思いますが、
倫理違反認定には特に問題があるようには思いませんし、
放送倫理の名の下に(権利侵害かどうかはともかく)申立人の不利益が認められたのは、
結果的には申立人にとってはよかったんではないんでしょうか。

 4.結論と措置
 以上のとおり、本件放送によって名誉・信用を侵害されたという申立人の主張については、理由がないものと判断するが、本件放送中の「現金の受け渡しシーン」について過剰な演出によって視聴者に誤った認識を与えた点、および番組全体の趣旨・構成の上で申立人にかかわる放送部分について視聴者に誤解を与えかねない不適切な扱いをした点において、放送倫理に反したものであったといわざるを得ない。
 したがって、当委員会は、被申立人に対し、本決定の主旨を放送するとともに、今後は、過剰な演出にならないよう十分に留意するとともに、番組の趣旨・構成の上で取材対象者について視聴者に誤解を与えるような不適切な扱いをすることがないよう十分に配慮することを要望する。

裁判所が立ち入らない(また立ち入るべきでない)、放送倫理というものについて判断することに、
この機関の意義があるかなぁという感じです。
厳格な権利侵害判断で、侵害を認めなかったのが、個人的には意外だったのですが、
もし放送倫理違反を認めることによって救済を図りうるから、という心理的要素が働いているのなら、
このような心理的要素は裁判所との関係で表現の自由確保に資すると思われ、
法律以下、放送倫理以上の法的判断の対象となる自主指針でもあれば、表現の自由とそれほど抵触することなく、
裁判上の救済も図りうるかなぁと思わなくはない。それでもやはり解釈論は生じるので微妙な問題は残るのだが。

うなずき屋ホームページ
http://www.rakuten.co.jp/winds-sophia/472864/