Rights First (Money First)

かなりいまさらながらでしょうが…。
私的録音録画補償金制度の根底にあるものは、おそらく
 権利者:私的だろうがなんだろうが、複製毎に課金されるべきで、複製されている以上損害だ!
 利用者:私的に使っている限り、何の損害があるんだっ
ではないかと思うのです。
権利者は、理由はともかく無断で複製されていること=経済的不利益である、と考えているとしか思えないのです。
しかし、今日の多様化した生活スタイルにおいて、私的複製の文化的意味は少なくありません。
これについて、どれだけ議論されているのでしょうか?
しかし、Culture First によれば、

わが国の私的録音録画補償金制度の危機
 技術の発展により、誰でも画質や音質を全く劣化させずにコピーできるようになったばかりか、ますます高速に大量のコピーをいとも簡単に家庭内で作成できるようになりました。
平成4年には、当時既に広く行われていた私的コピーが権利者に与える経済的な影響を穴埋めする手段として「補償金制度」が導入されましたが、今日の社会全体としてのコピー総量は当時と比較にならないほど増加し、しかも増加に歯止めがかからない状況にあります。ところが、その一方で現在の私的録音録画補償金制度では、新たに登場した私的コピーを可能とする製品、例えばパソコンや携帯音楽プレイヤー、携帯電話、カーナビ等が課金対象となっていないために機能不全に陥っており、私たちが受け取る補償金の額も激減するという危機的な状況にあります。
http://www.culturefirst.jp/popup/kiki.html
詳細:http://www.culturefirst.jp/news/080115-data.html

としか言われていません。詳細のページも受け取るお金が減った=利益が侵害されている、これだけです。
しかし、これは、私的複製を認めることが、文化的意味以上に権利者にとって不利益となってしまっている、ということが前提となります。
その前提は全くと言って少なくともホームページにはあらわれいません。お金のことだけです。
これでは、Culture First ではなく、Rights First、Copyright First、Money First という他ありません。
文化にとって、創作する人だけがその担い手であり、重要な存在というわけではありません。
それを享受することも重要であり、それを享受した人が創造するというサイクルもまた重要なわけです。このことを著作権法1条が意味しているのです。
私的にタイムシフト、プレースシフトすることが、利用者の文化的利益の享受に資していることは疑いようのないことですが、
それが権利者にとって(その利益を許容できないほど)損害である、ということをきちんと示す必要があります。
それがまったく示されておらず、単に数的比較で損害だというにすぎないのです。(このあたり保護期間延長論と同様のように思います。)
現在の主張を見る限り「はじめに文化ありき」という看板は偽りの看板、実を伴わない看板であり、
お金を主張の柱として、このスローガンを掲げるのは、今日の文化の礎を築いた先人たちに対する非礼以外の何ものでもないように思います。
所詮権利者団体の集まりなので、期待しろという方が無理なのかもしれませんが、それでは「culturefirst」にならないことを自覚するべきでしょう。