総局長の見解、抗議文から見るおかしさ。

他のこともこれくらい公表すればよかったし、
長井氏の申立てにもこれくらい迅速に対応すれば問題なかったのでは?と思うが、
1/14付で下記の2点がホームページにアップされているので紹介しておく。
「1月13日関根放送総局長の見解」
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/002.html
朝日新聞社に対する抗議文」
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/003.html


ところで、「見解」とは、「事に対する見方・考え方。解釈や評価の仕方」をいう。
大辞林http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=06345400&p=%B8%AB%B2%F2&dtype=0&stype=1&dname=0ss&pagenum=1
はっきりいえば、知りたいのは総局長の考え方ではない。
法人たる日本放送協会がどのように事実を受け止めているかである。
それとも、それは=総局長の見解ということでよろしいのか?


なお、「関根放送総局長の見解」「朝日新聞社に対する抗議文」は政治家両氏の関与を否定するものとなっても、
NHKの健全性を示すものではないことを確認しなければならない。
今回はこれらの資料記載の事実を前提に考えてみたい。


「関根放送総局長の見解」をまとめると次のようになる。

1.安倍氏と中川氏から政治的圧力を番組の内容を変更した事実はない。
2.中川氏とNHKが面会したのは放送後である。放送前には会っていない。
3.安倍氏とは正確ではないが、1/29に面会。安倍氏から呼ばれたものではない。
  予算の説明を行う際にあわせて番組の趣旨や狙いなどを説明した。
4.安倍氏との1/29の面会時点で、番組の編集作業は最終段階に入っており、
  多角的な意見を番組に反映させるために追加的なインタビュー取材なども終わっていた。
5.この面会によって番組内容を変更をしたということはない。
6.放送に向けて試行錯誤して編集するのは通常のこと。
  放送の直前まで検討するのは通常の「編集」であって「改変」でない。
7.試写をして、当時の総局長らが意見を述べたのは事実である。
  議論が分かれる場合に試写をするのはよくあることであり、
  意見を述べるのは最終責任者として当然である。
  よってNHKの責任で編集したものである。
8.記者会見での報告書を作成し会長に報告したという事実はない。
9.この番組は「戦時性暴力」や「人道に対する罪」について考えることを企図しており、
  単に女性法廷を記録することを目的とするものではない。
10.去年の3/24の東京地裁判決も「公平性や中立性といった多角的な立場から編集されており、
  放送局に保障された編集の自由の範囲内だ」と認定している。
11.「NHKは公共放送機関として、公平かつ公正の立場に立って、何人からも干渉されず、
   常に自らの責任と判断において企画し、編集することを基本としています。
   今後も不偏不党の立場を守って、放送による言論の自由表現の自由を自ら確保していく考えです。」

元データが画像なので、これだけでも時間がかってしまった。
この文章の転用をさけるためだろうか?文章の転載をさけるべき利益と転載(引用)させる利益とでは、
後者の方が大きいと思うのだが…。


話を戻そう。
まず、11.は当然である。また1については、そうですか…としか今は判断できない。
8についても、理解の異なるところなので、おいておこう。


さて、まず3である。
積極的な介入を受けたかどうはわからない。なかったのかもしれない。
しかし、事前に会ったとするのは長井氏の誤解だったとしても、政治家の意向を伺うような態度を
NHKがとっていることだけは事実のようである。
この姿勢も問題視されているのではないだろうか。
なぜ予算説明の際にあわせて、番組の趣旨や狙いなどを説明する必要があるのか?
「不偏不党の立場を守って」というのであれば、政治家安倍氏に会ったときにする話ではないはずである。
安倍氏は無関係ですよ、とはいえても、NHKは政治的に偏った態度をとっているのである。


次に6は「放送の直前まで検討するのは通常の「編集」であって「改変」でない。」
こんなところで言葉遊びをしても仕方ない。
その「編集」が政治家の意を受けたものかどうかが問題なのである。
政治家の意をうけたものでも、事前の「編集」であるして問題なしとするわけではあるまい。
自身も、11「“何人からも干渉されず”、常に自らの責任と判断において企画し」て
「編集すること」が基本といっている。


9から番組内容の妥当性を判断するのはNHKで勝手にすればよい。
ここで問題になっているのは、編集内容の妥当性ではなく、過程の妥当性である。
後述の裁判はともかく、本件とは何ら関係のないことである。


10の東京地裁平成16年3月24日判決(平成13年(ワ)第15454号損害賠償請求事件)については、
裁判所ホームページ他、下記原告サイトにも発見できなかった。
http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/nhk/index.html
この原告団体、裁判等問題提起するのは大いに結構なのだが、判決とかの資料もアップして欲しい。
判決からもう10ヶ月程度経過すると言うのに何の顛末もないのはどういうことか?
この裁判について参考になりうるものとしては、
○東京地方裁判所によるバウネット判決に関するATP見解(社団法人全日本テレビ番組製作社連盟
 http://www.atp.or.jp/news/20041215.html
○マスメディア論(第15講:2004.06.08) 「NHKを知り考える〜民営化の可能性」
 http://homepage2.nifty.com/sumee/media0415.htm
○NHK「女性戦犯国際法廷」番組改竄問題・私家版
 http://postx.at.infoseek.co.jp/NHK-kaizan/top.html
なお、本訴訟は控訴審に係属中らしい。
また、周辺記述から判断する限り、本裁判の争点は「改変」が問題であって、「原因」は争点ではないと思われる。
さらにいえば、弁論主義上、裁判上主張されなかったことは判決の基礎とはならないので、
この判決の理由中の判断での不認定がなんら今回の社会問題の解決指針になるものではないと思われる。
参考までに、判決文の転載の所在御存知の方ありましたら、匿名で結構ですので、コメントして頂けると幸いです。


ここで、「朝日新聞社に対する抗議文」もみてみよう。なお、筆者はこの記事を知らない。
抗議文中に記載されている事実は次のとおり。

a.松尾当時総局長と中川氏は会っていない。野島氏の面会は放送後。
b.放送後の面会は事業計画についての事前に説明するためで、NHKが出向いた。
c.その中で番組の趣旨やねらいを説明した。
d.安倍氏については1/29頃、2人とも面会しているが、予算説明のために出向いたもの。
e.1/28の時点で番組は完成していない。その後には試写や編集。
f.試写は異例ではない。結果的に短くなった。
g.「改変」でなく、編集である。他、前掲6、9、10に同旨。
h.両氏の意向を受けたものでないことは、面会の時期や内容、編集過程から明らかである。
i.記事の見出しは誤りである。
j.抗議し、謝罪、釈明、訂正を求める。

さて、jは抗議に関することなので、ここではよい。
まず、前掲2、abcに関して、野島氏が、放送後とはいえ、事業計画についての事前に説明のために出向いた際、
その中で番組の趣旨やねらいを説明する必要があるのかという疑問がやはり残る。
このことは、中川氏が単に巻き込まれただけということを示すものであっても、
NHKの態度の正当性を示すものではないように思われる。


次に、事前面会の安倍氏である。
dとも関係するが、すでに述べたように、予算説明のために出向いた際に番組内容を報告する必要すら疑問である。
前掲4、eに関して、そんな中で、この時点で編集が終わっていない。
つまりは、編集している段階であるにもかかわらず、番組内容を報告したことは事実である。
もちろん、安倍氏の反応はわからないので、ここから彼を非難することはできないが、
NHKは編集中の番組について、事前に内閣官房副長官(当時)に少なくとも報告しているのである。
これで「何人からも干渉されず」という態度といえるのかは甚だ疑問である。
h「両氏の意向を受けたものでないことは、面会の時期や内容、編集過程から明らかである。」というが、
以上のようなことはからすれば、安倍氏については、
決して「面会の時期や内容、編集過程から明らかである」とはいえないのである。
まさか「両氏」ではないでしょ?ということでもあるまい。抗議文なので、全くないとはいえないが…。


さらにいえば、前掲7の「編集」「改変」はgと関連しているといえる。
おそらくは、NHKの主張は、朝日新聞は完成後だから「改変」といっているが、完成前なので「編集」であると。
しかし、本質はそんなことば遊びにあるのではない。
政治家の意向があるとして、その反映が、完成後なら「改変」だが、完成前なら「編集」だというのか?
NHKの責任で編集されているからといって、政治介入が問題ないとはいえないのである。
政治家の意を受けて、NHKの責任で編集した、というものであってはならないのである。
そうでなければ、「不偏不党の立場を守って」とはいえないはずである。


ところで、この点、NHKが収録した政見放送について、自治省行政局選挙部長に照会の上、
一部差別的部分を削除した放送したという最三小判平成2年4月17日民集44巻3号547頁の事例がある。
これは、「政見放送において身体障害者に対するいわゆる差別用語を使用した発言部分が
公職選挙法一五〇条の二に違反する場合、右部分がそのまま放送されなかつたとしても、
不法行為法上、法的利益の侵害があつたとはいえない。」という事例であるが、ここでは、
http://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf/VM2/C6FE42518E0B258349256A8500311EC4?OPENDOCUMENT

憲法二一条二項前段にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきところ(最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁)、原審の適法に確定したところによれば、被上告人日本放送協会は、行政機関ではなく、自治省行政局選挙部長に対しその見解を照会したとはいえ、自らの判断で本件削除部分の音声を削除してテレビジョン放送をしたのであるから、右措置が憲法二一条二項前段にいう検閲に当たらないことは明らかであり、右措置が検閲に当たらないとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、採用することができない。

と、日本放送協会が、自治省行政局選挙部長に対しその見解を照会して、自らの判断で本件削除部分の音声を削除して
テレビジョン放送をしたことについて、検閲に当たらないといっている。
しかし、これは「検閲」かどうかの判例であるし(学説上は反対説も多い)、
その内容について法的見解を求めると言うものであったのに対して、
今回は、「意向」があるとして、そういう類いのものではない。
類似事例として、挙げられそうではあるが、関係のないことを記しておく。


このように、今回の「関根放送総局長の見解」「朝日新聞社に対する抗議文」に見る限り、
政治家からの積極的な介入がないことはわかっても、NHKが政治的意向を反映していないことを示すものではなく、
むしろ疑わしめる材料の一部について、認めてしまったにすぎない。
困ったときときは、「“関根放送総局長の”見解」ということで逃げるのであろうか?
事実を整理するには役立つし、政治家擁護にも役立つが、NHKにとって何一つ有利なことを示せていない。
一方で、自らの行動の不適切な部分に何も気付いていない。(だからこそこんな文章をだせたのだろう。)
NHKの体質が腐りきっていることが証明された文書である。


追記:
本日付毎日新聞社説が同旨のことを述べている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/tv/news/20050115k0000m070168000c.html