国会とは何ぞや?

通常国会が開幕し、今日の衆議院本会議では、小泉純一郎首相の施政方針演説に対する各党代表質問があった。
そこで、民主党社民党の議員が一時退席する騒ぎがあったらしい。

首相答弁めぐり民主・社民が一時退席…国会代表質問
 国会は24日、衆院本会議で小泉首相の施政方針演説に対する各党の代表質問が行われ、与野党の論戦がスタートした。
 しかし、民主党岡田代表の再質問に対する首相の再答弁をめぐって審議が紛糾、民主、社民両党議員が本会議場を一時退席し、両党不在のまま質疑が続行される異例の事態となった。代表質問の最中に野党側が退席したのは現行憲法下では初めて。
 午後1時からの本会議では、最初に質問に立った岡田氏が、首相の答弁を「不十分だ」とし、年金制度改革など9項目にわたって再質問した。
 これに対し、首相は「すでに明確に答弁している」と答えるにとどまり、その後の2度の補足答弁でも「不満があることは理解したが、私は漏れなく答弁したと思う」などと具体的な答弁を避けた。
 このため、民主党は激しく反発。社民党とともに本会議場から退席したが、河野衆院議長は議事を進行させ、自民党武部幹事長による代表質問が続行された。共産党は出席を続けた。
 与野党はその後の本会議休憩時に打開策を協議。改めて岡田氏が質問し、首相が答弁することで事態を正常化させた。河野衆院議長は審議再開の際、「答弁にあたっては誠意を持ってきちんと対応されるよう望む」とする異例の注意を行った。予定されていた民主党小宮山洋子氏の質問は25日に持ち越された。
 再開後の本会議で岡田氏は、「混乱はひとえに小泉首相に責任がある。首相答弁は議会制民主主義の根幹をゆるがすものだ」と批判。首相は「私は常に誠意を持って答弁している」と強調し、本会議終了後には記者団に「審議するのが国会の場だ。最初から審議拒否してはしょうがない」と語った。
(読売新聞) - 1月24日21時15分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050124-00000013-yom-pol

まずは、内閣総理大臣小泉純一郎の対応からみよう。
総理大臣は、民主党岡田代表の「不十分だ」とする再質問に対し、
「すでに明確に答弁している」「不満があることは理解したが、私は漏れなく答弁したと思う」などと
具体的な答弁を避けたらしい。
このことは実に重大な問題である。
彼は、内閣総理大臣であり、国会に対して説明責任を負うものである。
議員内閣制、民主主義原理のもとではまずこのことを理解しなければならない。
しかしながら、さらなる具体的な説明を求められたのに、それを回避した。
これは、国民への説明責任の不履行であって、民主主義に反する行為である。
今日の行政の肥大化のもとでは、特に国会における内閣総理大臣の説明責任は重大である。
小泉は独裁者だというと否定するだろうが、
国会での説明を拒否して、したいことをするのであれば、それは独裁者に等しい。
もちろん、言い掛かり的な再質問もあろう。
であるとするならば、それは議会の自立権で対処するべきである。
決して、内閣総理大臣回答拒否であってはいけないのである。
誠意をもって答弁しても、伝わらなければ意味がないし、
伝わっていないからこそ、もう一度なのだから、回答拒否では誠実とはいえないのである。
国会における主は国会議員であり、内閣総理大臣は従である。
国会答弁がきちんとなされたかどうかは、内閣総理大臣が判断するべきことではない。
現職内閣総理大臣がそのような憲法認識であることは日本の民主主義にとって非常に問題である。
しかも、民主党の指摘にもいっこうに自覚がない。
内閣総理大臣回答拒否の是非は、政策判断の是非とは次元が違う。
総理との見解の相違であっては許されないことなのである。
国会議員もこのことはきちんと認識するべきである。
これが機能していることが、民主主義の前提であり、国会議員の役割なのである。


次に、河野洋平衆議院議長であるが、衆議院の議長なのであるから、
内閣総理大臣回答拒否の段階で然るべき措置を採るべきだった。
さらにいえば、再質問であれば、より具体的な回答を求めるべきだったように思う。
しかし、それをしなかったのは、議長の役割をわかっていない。
国会審議で議長が内閣総理大臣の言いなりになったのでは、三権分立はありえない。
河野洋平衆議院議長は国会の独立性と自立性を担う議長失格と言わざるを得ない。
せめての救いが、審議再開の際に「答弁にあたっては誠意を持ってきちんと対応されるよう望む」とする
「異例の注意」を行ったことだろう。
異例なのは当然である。こんな議会軽視の内閣総理大臣の態度が異例なのだから。


最後に民主党社民党である。
本会議場から退席という手段が本当にいいのか?ということは今一度考えて欲しい。
国会は審議の場である。その場を放棄するのは、民主制の見地からやはり妥当ではない。
特に内閣総理大臣が暴走したのであるから、それをとめるのが両党だったのではないだろうか。
もっとも、これがなければ河野洋平衆議院議長は注意すらしなかったであろうから、
意義はあったといえる。
しかし、それが本来の姿でないことは、両党議員は認識しておくべきであろう。
一方で、これがなければ注意すらしなかった河野洋平衆議院議長は感謝するべきであろう。
これがために議長であることの面目は多少は保てたのであるから…。
(今回に関しては、非難する資格は総理にはない。まずは、上記の事を反省謝罪すべきだ。)


それぞれが、統治機構における国会とはどういう場であるのかを認識するべきである。
何となく、総理大臣をし、議長をし、国会議員をされるのでは困る。
特に内閣総理大臣は、国会という場がどういう場であるのか、
衆議院議長の「答弁にあたっては誠意を持ってきちんと対応されるよう望む」との言を重く受け止めていただきたい。