棋泉vs米長邦雄訴訟(5)/法律書の発行差し止め(2)

今回は2タイトル相乗り企画です。

棋泉vs米長邦雄訴訟
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050520/1116520052
棋泉vs米長邦雄訴訟(2)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050521/1116607505
棋泉vs米長邦雄訴訟(3)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050523/1116786786
棋泉vs米長邦雄訴訟(4)
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050525/1116955919

法律書の発行差し止め(1)〜やっとアップされました。〜
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050524/1116939072

順番的には、裁判例に興味がありアップされるのを待っている間に将棋の方の訴えがあったのですが…。


さて、棋泉vs米長邦雄訴訟(1)で触れたが、

東京地判平成17年5月17日平成15年(ワ)第12551号等著作権民事訴訟事件
http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/c617a99bb925a29449256795007fb7d1/a28ba7375312b52f4925700a002ad420?OpenDocument

この判決は今回の事件を考える上でかなり参考になるように思う。
もしかしたら、今回の訴訟の一要因にはこの判決があるのでは?とも思いたくもなる。
この判決が必ずしも原告の味方になるものかどうかはよくわからないのだけど…。
そこで、今回は、「将棋訴訟」を意識しつつ、「法律書訴訟」をみたい。
ちなみに、ほんとに見るだけ。ほとんど自分用メモ。でもわかりやすい判決とは思うよ。説明は。

2 争点(2)ア(依拠性)について
(1) 証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 原告文献1の発行時期は平成14年7月25日であるのに対し,これに対応する被告文献1の発行時期は同年12月4日である。原告文献2の1の発行時期は平成3年11月28日,原告文献2の2の発行時期は平成7年10月19日であるのに対し,これらに対応する被告文献2の発行時期は平成14年11月6日である。原告文献3の発行時期は平成14年7月25日であるのに対し,これに対応する被告文献3の発行時期は平成15年2月5日である…。なお,原告文献2の1は,平成6年5月までに5回の増刷を重ねた…。
  そして,被告bは,原告各文献を知っていた…。
イ 原告文献1と被告文献1とを対比すると,両者は債権回収という同じ法律問題を取り扱っており,基本的な概念及び構成,章立ての順序が類似している上,各章内の小見出しも類似している。また,別紙対照表1の原告文献1欄と被告文献1欄のそれぞれ対応する部分の下線部分を比較すると類似した文章や図表が多く見受けられる…。
ウ 原告文献2の1と被告文献2を対比すると,両者は署名・捺印という同じ法律問題を取り扱っており,基本的な概念及び構成,章立ての順序が類似している上,各章内の小見出しも類似している。また,別紙対照表2−1及び2−2の原告文献2の1及び同2の2欄と被告文献2欄のそれぞれ対応する部分の下線部分を比較すると類似した文章や図表が多く見受けられる…。
エ 原告文献3と被告文献3を対比すると,両者は手形・小切手という同じ法律問題を取り扱っており,基本的な概念及び構成,章立ての順序が類似している上,各章内の小見出しも類似している部分が多い。また,別紙対照表3の原告文献3欄と被告文献3欄のそれぞれ対応する部分の下線部分を比較すると類似した文章や図表が多く見受けられる。

類似性(依拠性)判断の具体的な判断要素である。イ〜エどれも同じような感じなので、イだけ取り上げると、

原告文献1と被告文献1とを対比すると,両者は債権回収という同じ法律問題を取り扱っており,基本的な概念及び構成,章立ての順序が類似している上,各章内の小見出しも類似している。また,別紙対照表1の原告文献1欄と被告文献1欄のそれぞれ対応する部分の下線部分を比較すると類似した文章や図表が多く見受けられる…。

肝心の対照表がインターネット版では省略されてしまっているのだが、ほとんど同じようである。
両者のテーマ、基本的な概念及び構成,章立ての順序の類似性、両者の文章や図表の類似性を判断要素としている。
ここでは、すべての要素を肯定して類似性を認めているともいえる。
一方、将棋訴訟の方はというと必ずしもそうではない。

なんと!「みんなの将棋・上級編」の講座内容は、
紹介の順番を変えているだけで内容は同一です。
http://www.koma.ne.jp/tousaku/

とある。「紹介の順番を変え」ることで否定される要素ともなりうるのである。
もっとも、その他の部分はかなり似ている。ただ、画面デザイン自体は似ていないように思う。
ただ、(原告の著作物であるという前提のもと)それ以外の部分については類似性が認めれる余地も否定はできないであろう。
(原告が似ていると主張する部分はたくさんある。もちろん著作物性そのものも一応問題になるが…。)

(2) 既存の著作物の表現内容を認識し,それを自己の作品に利用する意思を有しながら,既存の著作物と同一性のある作品を作成した場合は,既存の著作物に依拠したものとして複製権侵害が成立するというべきであり,この理は,翻案権侵害についても同様である。
  そして,被告各文献は,いずれも原告各文献が出版された後に出版されているが,特に,被告文献1は,原告文献1の出版から約4か月後,被告文献3は,原告文献3の出版から約6か月後という極めて近接した日にそれぞれ出版され,また,原告文献2の1は相当数販売されたものであって,被告a及び被告bはこれに接する機会があったこと…,現に被告bは,原告各文献を知っていたこと…,被告各文献は,それぞれ対応する原告各文献と,基本的な概念及び構成,章立ての順序,各章の内容,さらに記載されている内容も類似している箇所が多いこと…,後記認定のとおり,被告各文献の中には,そこに記述されている順序及び構成で表現される必然性のない文章等について,原告各文献の各対応部分とほぼ同一の表現がされている部分があること,以上の事実を総合すれば,被告文献1は原告文献1に,被告文献2は原告文献2の1及び2の2に,被告文献3は原告文献3に,それぞれ依拠して執筆されたことは明らかである。上記認定に反する乙第11,第12号証及び被告会社代表者尋問の結果は,信用することができない。

ここでは複製と翻案をそれほど区別していないが、これらの定義は後にみることになる。
いずれにせよ、

既存の著作物の表現内容を認識し,それを自己の作品に利用する意思を有しながら,既存の著作物と同一性のある作品を作成した場合は

著作権法上問題になる。
もしも、仮に原告の主張するように、それぞれ「原告の著作物」「被告の著作物」であり、両者に同一性があるなら、
「既存の著作物の表現内容を認識し,それを自己の作品に利用する意思を有しながら」という点を被告が否定するのは困難であろう。
ところで、この法律書事件。誰が見ても、相当似ていたと言うことだろうか?
その1ではそれぞれの商品にリンクを貼っているが、まだ被告商品も購入可能である。
(そのことは確定しない限り問題ない。)
購入してまで比べるのは馬鹿らしいようにも思うが、裁判所が類似していると判断した法律書訴訟での両者の類似性と、
将棋訴訟での類似性の比較をしてみるのもおもしろいのかもしれない。


さて、筆者がきちんと調べるのが面倒だったことをきれいにまとめて下さってます。しかも判例付き。

3 争点(2)イ,ウ(著作物性,複製権及び翻案権侵害の成否)について
(1) 著作物の複製(著作権法21条,2条1項15号)とは,既存の著作物に依拠し,その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう(最高裁昭和50年(オ)第324号同53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145頁参照)。ここで,再製とは,既存の著作物と同一性のあるものを作成することをいうと解すべきであるが,同一性の程度については,完全に同一である場合のみではなく,多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうことのない,すなわち実質的に同一である場合も含むと解すべきである。
  また,著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的な表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。
  そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法2条1項1号),既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,複製にも翻案にも当たらないと解するのが相当である(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
  このように,複製又は翻案に該当するためには,既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物との同一性を有する部分が,著作権法による保護の対象となる思想又は感情を創作的に表現したものであることが必要である(著作権法2条1項1号)。そして,「創作的」に表現されたというためには,厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく,筆者の何らかの個性が表現されたもので足りるというべきであるが,他方,文章自体がごく短く又は表現上制約があるため他の表現が想定できない場合や,表現が平凡かつありふれたものである場合には,筆者の個性が表現されたものとはいえないから,創作的な表現であるということはできない。

よくわかりますね?しかも下級審とはいえ裁判所の書いた文章ですから、間違いないでしょう。
余談ですが、この裁判の裁判長の高部眞規子女史は最高裁判所の調査官という影の判例執筆者もやってましたから、
彼女がこれを書いてはないにしてもその内容にはほとんど問題ないでしょう。こういう説明部分に限ってですが…。


さて、これまで、くどいくらいに著作物性そのものの検討の必要性を書いた。
なぜなら、両本の内容には著作物でないもの(著作権の目的とならないもの)も含まれているからです。
内容が似ていてもその部分が著作物といえるものでなければなりません。そのことを説明しているのが以下の部分です。

(2) 本件における原告各文献及び被告各文献のような一般人向けの法律問題の解説書においては,それを記述するに当たって,関連する法令の内容や法律用語の意味を整理して説明し,法令又は判例・学説によって当然に導かれる一般的な法律解釈や実務の運用等に触れ,当該法律問題に関する見解を記述することが不可避である。
  既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物との同一性を有する部分が法令や通達,判決や決定等である場合には,これらが著作権の目的となることができないとされている以上(著作権法13条1ないし3号参照),複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。そして,同一性を有する部分が法令の内容や法令又は判例・学説によって当然に導かれる事項である場合にも,表現それ自体でない部分において同一性を有するにすぎず,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。
  また,手続の流れや法令の内容等を法令の規定に従って図示することはアイデアであり,一定の工夫が必要ではあるが,これを独自の観点から分類し整理要約したなどの個性的表現がされている場合は格別,法令の内容に従って整理したにすぎない図表については,誰が作成しても同じような表現にならざるを得ない。よって,図表において同一性を有する部分が単に法令の内容を整理したにすぎないものである場合にも,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。そのように解さなければ,ある者が手続の流れ等を図示した後は,他の者が同じ手続の流れ等を法令の規定に従って図示すること自体を禁じることになりかねないからである。
  さらに,同一性を有する部分が,ある法律問題に関する筆者の見解又は一般的な見解である場合は,思想ないしアイデアにおいて同一性を有するにすぎず,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,一般の法律書等に記載されていない独自の観点からそれを説明する上で普通に用いられる表現にとらわれずに論じている場合は格別,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。けだし,ある法律問題についての見解自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず,これと同じ見解を表明することが著作権法上禁止されるいわれはないからである。
  そして,ある法律問題について,関連する法令の内容や法律用語の意味を説明し,一般的な法律解釈や実務の運用に触れる際には,確立した法律用語をあらかじめ定義された用法で使用し,法令又は判例・学説によって当然に導かれる一般的な法律解釈を説明しなければならないという表現上の制約がある。そのゆえに,これらの事項について,条文の順序にとらわれず,独自の観点から分類し普通に用いることのない表現を用いて整理要約したなど表現上の格別の工夫がある場合はともかく,法令の内容等を法令の規定の順序に従い,簡潔に要約し,法令の文言又は一般の法律書等に記載されているような,それを説明する上で普通に用いられる法律用語の定義を用いて説明する場合には,誰が作成しても同じような表現にならざるを得ず,このようなものは,結局,筆者の個性が表れているとはいえないから,著作権法によって保護される著作物としての創作性を認めることはできないというべきである。よって,上記のように表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎない場合には,複製にも翻案にも当たらない。
  他方,表現上の制約がある中で,一定以上のまとまりを持って,記述の順序を含め具体的表現において同一である場合には,複製権侵害に当たる場合があると解すべきである。すなわち,創作性の幅が小さい場合であっても,他に異なる表現があり得るにもかかわらず,同一性を有する表現が一定以上の分量にわたる場合には,複製権侵害に当たるというべきである。
 本件において著作権侵害を判断するに当たっては,これらの観点から検討する必要がある。


さて、具体的にはどう判断したの?という部分も当然知りたいのだが、この続きはこうである。

(3) 原告は,自ら原告各文献を別紙対照表1ないし3記載の各番号に記載された各部分に分けた上,個々の原告各表現における文章ないし図表が著作物に当たり,被告各表現がそれぞれこれを侵害する旨主張するところ,いかなる単位で著作権侵害を主張するかは原告の処分権の範囲内の事項ということができる。
  そこで,以下,前記(2)の観点から,それぞれについての著作権侵害の成否を検討する。その判断は,別紙「複製権及び翻案権侵害に関する当事者の主張並びに当裁判所の判断」中,当裁判所の判断欄記載のとおりであり,複製権侵害が認められるのは,被告表現1−14,被告表現2−2−66,被告表現2−2−76であり,それ以外は複製権及び翻案権のいずれも侵害しない。

残念ながら、インターネットでは別紙の内容はわかりません。PDFででもアップしてくれればいいのに…。
今まで説明してきたことから、どのような部分を侵害としてのかはわかりません。
ただ、実際に複製権侵害翻案権侵害を認めたのは、上記にある通り「被告表現1-14、2-2-66、2-2-76」にすぎず、
「それ以外は複製権及び翻案権のいずれも侵害しない。」ということはわかります。
原告が似ていると主張しても、いかにハードルが高いか…。


将棋訴訟でも同じような条件をクリアする必要があるでしょう。
法律書訴訟での両者の類似性よりも、将棋訴訟の両者の類似性があるの思われるならば、認められる余地はありそうです。
ただし、前提として被侵害著作物(原告の主張するソフト)の一部があくまで原告の著作物である必要があります。
今回の訴訟でもこの部分も争いになる可能性がありますので、注意が必要です。


さて、続いて著作者人格権についての判断がある。

4 争点(3)(著作者人格権侵害の成否)について
 上記のとおり,被告表現1−14,被告表現2−2−66,被告表現2−2−76について,複製権侵害が認められるところ,これらの被告表現には,原告の氏名が表示されておらず,かつ原告の意に反する改変がされている。
 よって,被告表現1−14,被告表現2−2−66,被告表現2−2−76について,原告の氏名表示権及び同一性保持権侵害が認められる。 

たったこれだけであるが、
「複製権侵害が認められ」るので、「原告の氏名が表示されておらず,かつ原告の意に反する改変がされている」としている。*1


さて、前回も書いたが、

※この一問一答を編集している最中に武者野先生より電話がありました。
  「第1回弁論が6月21日午後1時半より、東京地裁にてと決まった」
http://www.koma.ne.jp/mario/yonenagaq&a.htm

だそうだ。
火曜日期日ってことで、46部と47部の可能性があるようだが、それを確認すべく、
東京地裁広報課にそれとなく期日を問い合わせたところ「まだはいってないと“思います。”」
そうなのね。ふ〜ん。細かいことつっこまず…。
大阪地裁の広報課の方がいろいろ親切です。

*1:ちなみに、私見としては、複製権侵害で、氏名表示権侵害かつ同一性保持権侵害はありえず、翻案権侵害では、氏名表示権侵害かつ同一性保持権侵害はありうるのかなぁ?という感じですが…。つまり、複製権侵害は実質的に同一である必要があるが、この要請を満たしつつ意に反する改変はあるのか?ということ。「意に反する改変」がなされていた場合にはもはや「実質的に同一」ではないと思うのだが…。一方で、翻案権侵害は「表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的な表現に修正,増減,変更等を加え」なので、「本質的な特徴」以外の部分に「意に反する改変」があれば同一性保持権侵害というのもあるが、「本質的な特徴」に「意に反する改変」があれば、もはや翻案権侵害が成り立たないと思うのだが…。おそらくこの見解の相違は、筆者が、同一性がなくても、氏名表示により依拠性を肯定しうる一方で、氏名表示がない場合で、同一性がない場合には依拠性を肯定し得ないと考えているからだろうか?