私的録音録画補償金制度に関する記事

私的録音録画補償金制度については、じっくり考察したいと思っているが、どうも後回し。
まぁみんな書きまくっているところだし、後回しでもいいか、という感じ。
ここは、すきまブログである。


私的録音・録画補償金制度では誰も幸せになれない (1/2) - ITmedia NEWS
かつてのCCCDレーベルゲートCDを発売していた会社が、音楽CD収入分からのお金を受け取ったいたという時点で
不可解な制度だったわけですが、複製防止技術の回避が法律上禁止されているわけですし、
あえて補償金はいらないような気がします。
さて、まず考えるべきことは、HDDから金をとることで、インセンティブを図ることができるのか?

ちなみに2003年度の私的録音補償金は、約23億3920万円であったそうである。2004年度の資料はまだ見つかっていないが、まあいくら減ったとはいえ、億で二ケタ規模であるとは思う。この金額が、SARAHに入ってくるわけである。著作権者に行き着くまでには小割されてしまうということなのだろうが、各団体に分配される金額は、そんなに小さいかなぁ。
 そこで頭をもたげてくるのが、「どんな分配してるのか」ということである。下図は私的録音補償金の流れを示した図で、これに公表されている分配率を記入してみた。分配を受ける3団体は、JASRACが若干多いものの、概ね三分の一ずつとなっている。そんなに少なくないように見えるのだが、この仕組みの図には不透明な点がある。
 この3団体に分配されるお金の比率は、SARAHの取り分を除いた金額を100%とした数字なのである。まず「共通目的事業への支出」として、全体から20%が差し引かれている。これは著作権および著作隣接権の保護に関する事業、および著作物の創作の振興と普及のために使われるそうなのだが、23億3920万円の20%と言ったら、約4.7億円である。そんなにプロモーションしてるかなぁ。むしろオレのほうがよっぽど貢献してるんじゃねえかという気がするのだが、筆者がもらうのはいつもの原稿料だけである。
 それからもう1つ、SARAH自身の運用資金が、補償金の中からどれぐらい引かれているのかが、よく分からない。運用資金は固定費だから、比率では表わせないということなのだろうか。権利者3団体が悲鳴をあげるほど取り分が少ないというのならば、各団体は文化庁に泣きつく前に、まずそのあたりをちゃんと洗った方がいいと思うのだが、それは言っちゃあイケナイことなのだろうか。

まずは、具体的にいくら「著作権者」に分配されているのか、各権利者団体は示すべきである。
それは補償金という漠然とした金銭を預かり配分する者の義務である。
補償金は、権利者団体のためのものではなく、権利者のものである。
それが明らかにならなければ、そもそも補償金はとは何か?ということになってしまう。
ちなみに、公開されているのは、
http://www.sarah.or.jp/info/info04.html、までである。


なお、SARAH自身の会計については、同協会のサイトで情報公開されている。
平成15(2003)年度収支計算書による補償金収入は2,528,518,228円(25億2851万8228円)だそうだ。
これは、前年(2002)度下半期(14/10月〜15/3月)分 1,480,946,116円 及び当年(2003)度 上半期( 15/4〜9月)分 1,047,572,112円の合計金額だそうだ。
http://www.sarah.or.jp/info/info05_04.html
記事中との誤差は計算期間の相違ということだろうか。
さらに、平成15(2003)年度決算による分配対象補償金は、2,689,842,265円(26億8984万2265円)で、
その4.2%相当額の112,973,375円(1億1297万3375円)が管理手数料だそうだ。
http://www.sarah.or.jp/info/info05_01.html
まぁ、お金関係はそのうちきちんと分析したいと思っているのだが…。
上記記事の執筆者がもう少しきちんと調べれば?と思わなくもないが、それでも不透明な部分は多い。
これではまるで機密費状態である。


日本音楽著作権協会の会員分配金は631,996,603円(6億3199万6603円)だったそうだ。
http://www.sarah.or.jp/info/info04.html
会員・信託者数 (2005年4月1日現在)は13,632人。
http://www.jasrac.or.jp/profile/outline/member.html
6億3200万/13600人=約46470円となる。
そもそも分配方法は規程を見ないとわからないので、結局さらっと書けなくので、とりあえず平均値。
これだけのことをやって、この金額はどうなのか?
補償金によるこの金額は、どれだけ権利者のやる気をおこされるのか?
社会の犠牲も勘案して考える必要があろう。


さて、補償金は半ば強制的に徴収されている。ここででてきたのが今回の記事。
私的録画補償金、初の返還額は8円 - ITmedia NEWS

私的録画補償金、初の返還額は8円
DVD-Rを家族の姿の記録に使ったというユーザーに、私的録画補償金8円が返還される。10年以上の歴史を持つ私的録音録画補償金制度で、返還は初めてだという。
 私的録音録画補償金が、制度発足以来初めてユーザーに返還される。4枚のDVD-Rに家族の姿を記録したと申し出たユーザーに対し、相当額の8円が近く返還される。
 私的録音録画補償金は、レコード会社が販売する音楽CDや、テレビ番組などをデジタル記録できるメディアやハードの価格に補償金を前もって上乗せしておき、著作権者に分配する制度。録音補償金は1993年、録画補償金は1999年に徴収が始まった。
 DVD-RやDVD-RAMなど録画用デジタルメディアには卸値(カタログ表記価格の50〜65%)の1%が上乗せされ、私的録画補償金管理協会(SARVH)を通じて著作権者に分配される。
 補償金の返還請求が可能なのは、ハードやメディアを他人の著作物の複製に使っていないと証明できる場合のみとしているが、録音・録画ともこれまで返還実績はなかった。
 SARVH事務局によると、「返還の問い合わせはこれまでに数十件受けている」が、手続きに手間がかかる上、数円程度しか戻らないと知ると請求をあきらめる人がほとんどだという。

10年間(録画は6年)に返還実績がなく、諦めざるを得ない制度いう時点で欠陥のある制度ではないだろうか?
このことをまず認識するべきである。あまりにも社会の犠牲が大きすぎるのではないかということである。
補償金収入のうち、いったいどれだけの割合が本来返還するべきと認識しているのだろうか?
もし継続したいのであれば、このような状態をまずは改善する必要がある。

 請求には、メディアやハードを他人の著作物の複製に使っていないことを証明できる証拠と、購入時のレシートが必要。返還の是非は、SARVHが3カ月に1回開いている返還委員会で判断する。

あとで記事の述べているが、メディアのうち、-Rについては立証は容易である。現物を確認すればよいだけである。
もっとも、内容に関するといっても、記録されたプライバシーなどを犠牲にしないといけないことになる。
そのような場合にどうするのか?立証を諦めるべきなのか?
加えて、今日において、そのメディアに他者の著作物が保存されているという蓋然性は、制度制定時よりも低いように思う。
岡本薫氏いわく一億総クリエィターの時代に、補償金を支払うべき蓋然性をどこまで認めることができるのであろうか?

 今回は、申請者がDVD-Rを家族の映像の記録に使ったと文書で申し出た。返還委員会はDVD-Rの内容を確認していないが、申請者を信用することに決めたという。

今後の運用としては実際証明を不要とするのだろうか?この前例をどうするのか、公平の観点から考える必要がある。
結局はその場しのぎの徴収ありきではないか?という疑念が残る運用である。

 申請者はDVD-Rの5枚パックを千数百円程度で購入しており、1枚あたりの補償金は1.87円。4枚合計で8円を、7月に銀行振り込みで返還する。
 文書は80円切手を貼った封書で送られてきたといい、トータルでは申請者の赤字になる。申請者はSARVH事務局に対して、申請経費を請求者が負担するのはおかしいなどと指摘したという。SARVH事務局は「払わなくていいものを払わされているという不満があったのでは」と話している。

なぜ立証の負担、経費の負担を請求者側がすべきなのかも問題となる。
そもそも著作物を利用していないのだから、申請者が負担するべき理由はないはずである。

著作権法(昭和四十五年五月六日法律第四十八号)
(私的使用のための複製)
第三十条
2  私的使用を目的として、デジタル方式の録音又は録画の機能を有する機器(放送の業務のための特別の性能その他の私的使用に通常供されない特別の性能を有するもの及び録音機能付きの電話機その他の本来の機能に附属する機能として録音又は録画の機能を有するものを除く。)であつて政令で定めるものにより、当該機器によるデジタル方式の録音又は録画の用に供される記録媒体であつて政令で定めるものに録音又は録画を行う者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。
私的録音録画補償金の支払の特例)
第百四条の四  第三十条第二項の政令で定める機器(以下この章において「特定機器」という。)又は記録媒体(以下この章において「特定記録媒体」という。)を購入する者(当該特定機器又は特定記録媒体が小売に供された後最初に購入するものに限る。)は、その購入に当たり、指定管理団体から、当該特定機器又は特定記録媒体を用いて行う私的録音又は私的録画に係る私的録音録画補償金の一括の支払として、第百四条の六第一項の規定により当該特定機器又は特定記録媒体について定められた額の私的録音録画補償金の支払の請求があつた場合には、当該私的録音録画補償金を支払わなければならない。
2  前項の規定により私的録音録画補償金を支払つた者は、指定管理団体に対し、その支払に係る特定機器又は特定記録媒体を専ら私的録音及び私的録画以外の用に供することを証明して、当該私的録音録画補償金の返還を請求することができる。3  第一項の規定による支払の請求を受けて私的録音録画補償金が支払われた特定機器により同項の規定による支払の請求を受けて私的録音録画補償金が支払われた特定記録媒体に私的録音又は私的録画を行う者は、第三十条第二項の規定にかかわらず、当該私的録音又は私的録画を行うに当たり、私的録音録画補償金を支払うことを要しない。ただし、当該特定機器又は特定記録媒体が前項の規定により私的録音録画補償金の返還を受けたものであるときは、この限りでない。

このように(特に第104条の4第2項)法律(以下、政令省令)には、費用負担に関する規程はない。

平成5年3月23日 文化庁長官承認
私的録音補償金返還基準
(返還手続きのために要する経費)
第10条  返還を決定した場合における送金等に要する経費又は返還しない旨の決定の通
知に要する経費は、本会が負担するものとし、その他の経費は返還の請求者にお
いて負担する。
http://www.sarah.or.jp/info/info11.html
(ただし、sarahのもの。http://www.sarvh.or.jp/images/312030801.pdfも同様。)

承認した文化庁が悪いのか、作成した協会が悪いのかわからないが、この規定で送料は請求者負担となる。
これはナメているとしか思えない。
こういう負担をおしつけつつ、さらなる、しかも汎用機器に対する補償金拡大を求める業界側は、
どういう神経をしているのか?
少なくとも返還事由のある場合には、費用は当然に預かっている側が負担すべきであるし、
(少額の場合事実上ないにしても)請求時からの利息も支払うべきであろう。
そういう感覚が存在していないことがまずは問われるべきであるし、そういうことを許す法システムも欠陥であろう。
これはもはや著作権の効力を超えているのである。
ある種、著作権の効力が、著作物を利用しない人に及んでいるという異常自体なのである。
そういうことを考えると、この基準自体が、公序良俗に反する無効であるというべきであろう。
そういう意識をもって、まずは基準を再考しなければ、既存の制度自体、その正当性は認め得ないであろう。

 SARVH事務局は、補償金返還の申請には今後も慎重に対処していく方針だが、課題は多い。「DVD-Rの場合、1回しか録画できないため判断しやすいが、DVD-RWDVD-RAMなど、何千回、何万回も書き換えができる場合、何をもって私的複製に使われないと判断するか難しい」といった問題もある。

「何をもって私的複製に使われないと判断するか難しい」とすると、そもそも反証しえないこととなりかねず、
特に汎用性ある機器では、不都合が生じることになる。
つまり、実務的にすでに制度破綻を認めてしまっているのである。
著作権的には、複製権の効力で私的複製を法律上制限できても、そうでない行為を制限するのは越権行為に他ならない。
一番配慮されなければならないことは配慮されていないのである。

 デジタル形式の録画や録音が普及するにつれ、私的録画補償金制度の問題点が頻繁に指摘されるようになってきた(関連記事参照)。「制度が技術の急速な進歩に追いついていないのが現状」とSARVH事務局も認める。補償金制度を定めた著作権法の改正などについては、文化審議会著作権分科会で審議中だ。

その上で、そもそも補償金の還元によって、著作権者のインセンティブが維持されているのか?ということを
事務局側に説明して欲しいところである。5年以上やっているわけでデータはあるはずです。
何のための補償金か?、著作権は何のためにあるのか?ということをよく考えるべきである。
その上で、デジタル私的複製を制限することが、本当に権利者のためになるのか?ということを考えるべきではないだろうか?


ちなみに、

私的録音補償金管理協会
 http://www.sarah.or.jp/
私的録画補償金管理協会
 http://www.sarvh.or.jp/

どちらのサイトを見ても具体的な返還手続きが明示されていない。
こういう状態で何年も運用されてきたこと自体、問題視されるべきであろう。