文字・活字文化振興法が公布・施行

官報目次
 平成17年7月29日付(号外 第171号)

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〔法  律〕
○文字・活字文化振興法(九一) ……… 12

国立印刷局官報(平成17年7月29日付(号外 第171号))※〜2005.8.5朝まで
 http://kanpou.npb.go.jp/20050729/20050729g00171/20050729g001710000f.html
衆議院/議案審議経過情報
 http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1D9AF1A.htm


この法律について、思うところ。

(目的)
第一条 この法律は、文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、豊かな人間性の涵(かん)養並びに健全な民主主義の発達に欠くことのできないものであることにかんがみ、文字・活字文化の振興に関する基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、文字・活字文化の振興に関する必要な事項を定めることにより、我が国における文字・活字文化の振興に関する施策の総合的な推進を図り、もって知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。


(定義)
第二条 この法律において「文字・活字文化」とは、活字その他の文字を用いて表現されたもの(以下この条において「文章」という。)を読み、及び書くことを中心として行われる精神的な活動、出版活動その他の文章を人に提供するための活動並びに出版物その他のこれらの活動の文化的所産をいう。

まず、確認しておくことは、究極的な目的は「知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与すること」。
具体的な施策はこの目的に合致するものでなければならない。
そして、この法律の名宛人は、「国及び地方公共団体」である。
それにしても、「人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、
豊かな人間性の涵養並びに健全な民主主義の発達に欠くことのできないものである」というのは、
何も文字・活字文化に限ったものではなく、表現活動一般であるように思うのだが…。
それゆえ、先日の船橋西図書館焚書事件最高裁判決は、19条・21条を根拠に「違法」としたのでは?
船橋西図書館焚書事件最高裁判決(2) - 言いたい放題
このような価値は法律を待つまでもなく、国・地方公共団体の責務として、ある程度要求されているといえる。
ある程度というのは、最高裁判決が「図書館」であることを強調したから。
今までいかに表現の自由の価値というものを意識していなかったということがわかる。
自由権的側面が軽視されている現状からすれば、
行政に対して表現の自由・知る権利に寄与する措置をとるべき責務を規定したことには意義があるといえるが、
本当にそこに主眼があったのかというと、きっと違うのだろうけど…。
とはいえ、法文上の目的規定はそうである。この目的規定に合致するように読む必要がある。


さて、この目的規定を実現するための基本理念が、

(基本理念)
第三条 文字・活字文化の振興に関する施策の推進は、すべての国民が、その自主性を尊重されつつ、生涯にわたり、地域、学校、家庭その他の様々な場において、居住する地域、身体的な条件その他の要因にかかわらず、等しく豊かな文字・活字文化の恵沢を享受できる環境を整備することを旨として、行われなければならない。
2 文字・活字文化の振興に当たっては、国語が日本文化の基盤であることに十分配慮されなければならない。
3 学校教育においては、すべての国民が文字・活字文化の恵沢を享受することができるようにするため、その教育の課程の全体を通じて、読む力及び書く力並びにこれらの力を基礎とする言語に関する能力(以下「言語力」という。)の涵養に十分配慮されなければならない。

である。
1項は、ぱっと読んだ印象、法律による再販売価格維持制度の継続を要請?なんて思ってしまう。
(実際そうらしいけど。
 http://banraidou.seesaa.net/article/2898894.htmlhttp://www.jbpa.or.jp/giinkon-apl.htm参照。)
しかし、この条文を素直に読めば、あらゆる著作物(出版物)をあらゆる地で手にいれることができる、
ということが要請されているということになる。
では、再販売価格維持制度によりそれが実現されているのか?
どこでも同じ価格でしか手にいれられないことによって、それが実現されるのか?
だれもが、同じ価格で入手できることがなぜ文化の向上に大きく貢献するのか?
結局は再販売価格維持制度の合理性の議論ということになり、
この規定により、直ちに維持するべき、という結論にはならないように思う。
筆者は、国民が出版物を手にするという意味においては、価格が安くなるほうがいいように思うが。
それとも、この法律は、国民は出版物を購入するのではなく、
図書館を整備して(7条)、借りてたくさん読んでください、っていうことか。
その7条。

(地域における文字・活字文化の振興)
第七条 市町村は、図書館奉仕に対する住民の需要に適切に対応できるようにするため、必要な数の公立図書館を設置し、及び適切に配置するよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、公立図書館が住民に対して適切な図書館奉仕を提供することができるよう、司書の充実等の人的体制の整備、図書館資料の充実、情報化の推進等の物的条件の整備その他の公立図書館の運営の改善及び向上のために必要な施策を講ずるものとする。
3 国及び地方公共団体は、大学その他の教育機関が行う図書館の一般公衆への開放、文字・活字文化に係る公開講座の開設その他の地域における文字・活字文化の振興に貢献する活動を促進するため、必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
4 前三項に定めるもののほか、国及び地方公共団体は、地域における文字・活字文化の振興を図るため、文字・活字文化の振興に資する活動を行う民間団体の支援その他の必要な施策を講ずるものとする。

個人的には国立国会図書館所蔵の資料へのアクセスが容易になれば、それでいいんですけど。
素直に読めば、本法は著作権保護強化的性質よりも、アクセスを容易にすることを実現するために、
(図書館について)権利制限を広く認めるべき、という方向が導かれるように思います。
“物理的に”著作物(出版物)を保護することは必要でしょうけど…。

(学術的出版物の普及)
第十条 国は、学術的出版物の普及が一般に困難であることにかんがみ、学術研究の成果についての出版の支援その他の必要な施策を講ずるものとする。

普及が困難なのは、出版者側に普及させる気がないから?需要がないから?高すぎて売れないから?
理由によって対策は異なると思うが、
単に普及すればいいのであれば、出版者が全国の図書館に寄贈すればいい。
また、ここでは必ずしも雑誌・書籍形態での出版である必要はないのだから、
政策的には国が電子出版物の図書館を整備すれば、アクセスは簡単にできる。
ちなみに、経済的満足を得つつ、普及させるというのは難しい。
国が一括して買い上げて、全国の公共図書館に配置するか?
出版支援もいいけど、恣意的にすれば、表現の自由の侵害だし。
結局は、受けたい人が容易に受けれれば、それが普及なのであるから、
需要に応じて、適切な出版形態が採られればいいだけのように思う。


ところで、この規定が版面権を企図しているということだが、
そうだとすれば、かえって出版物上の著作物の普及が阻害され、
文化の発展、文字・活字“文化の振興”は阻害されてしまうように思う。
権利の創設、保護が文化の発展になるという安易な考え方はやめるべきである。
基本的に権利の創設は、財産的インセンティブになるだけで、その保護を強化することは、
一方で、国民の著作物享受を阻害することになる、ということを理解する必要があるように思う。
出版物が普及しないのに、版面権などという制約がつけばより普及しなくなる。
(出版権は出版されないものを出版することに寄与しても、出版物の普及には寄与しない。)
この文言から、版面権を導く余地はないし、
むしろ「知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現」という目的に反するように思う。

 (文字・活字文化の日
第十一条 国民の間に広く文字・活字文化についての関心と理解を深めるようにするため、文字・活字文化の日を設ける。
2 文字・活字文化の日は、十月二十七日とする。
3 国及び地方公共団体は、文字・活字文化の日には、その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする。

なぜに10月27日?読書週間初日だかららしい。
http://dic.yahoo.co.jp/tribute/2005/07/26/2.html
今後この日が何曜であっても、図書館休館日になることはない?
むしろ開館してイベントするべきだろうし。
実際にどういう行事がなされるのか、楽しみですね。

附 則
 この法律は、公布の日から施行する。

今日から施行されたのに、文科省サイトではいまいち伝わっていません。
議員立法なので行政はやるきなし?責務不履行です。
もっとも、あえて国民にアピールする必要はないのかもしれません。
基本的には、国民による行政への要求ですから。
そういう意味では立法措置が一義的要求でないということになります。