週刊新潮の実名報道

週刊新潮(2005年)10月27日号において、
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の元少年の3被告について実名報道がなされた。
このことにおいて、週刊新潮は次のように記している。

 少年法61条は、少年の時に犯した罪により公訴を提起された者の氏名や顔写真を掲載してはならない旨、
定めている。しかし、00年2月大阪高裁は「堺通り魔事件」の実名報道に対して、「極めて凶悪重大な事
犯であり」「被害者の心情をも考慮」した上で、少年犯罪の実名報道を認めた。今回の「大阪・愛知・岐阜
連続リンチ殺人事件」は、犯人3人が死刑判決を受けるほどの凶悪無比な犯罪であり、遺族の被害感情も峻
烈であることを考慮し、実名報道すべきと判断して、氏名を顔写真を掲載したことを付記する
週刊新潮10月27日号 第50巻第41号通巻2519号 編集発行人早川清 37頁)

まず、少年法をみると、

少年法(昭和二十三年七月十五日法律第百六十八号)
   第五章 雑則
(記事等の掲載の禁止)
第六十一条  家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

とある。
記事中の判例は、大阪高判平成12(2000)年2月29日判時1710号121頁である。
これは新潮21が、堺通り魔事件について、少年容疑者の氏名顔写真を公表したのに対して、損害賠償請求訴訟が提起され、
第一審は請求が認められたが、控訴審では、本件実名報道は違法でない、としたものである。
当時法務省から回収等を勧告されたそうである。別途その措置の違法性も検討することが可能である。
なお、高裁判決に対して、少年側はいったん上告したものの、その後上告を取り下げ判決は確定している。


これと比較される裁判例としては、名古屋高判平成12(2000)年6月29日判時1736号35頁がある。
週刊文春がリンチ殺人事件に関して仮名等で事件を報道ことに対して損害賠償請求訴訟が提起されたもので、
第一審控訴審ともに、請求が認められている。
しかし、最高裁では、

最二小判平成15(2003)年3月14日民集第57巻3号229頁
http://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf/VM2/7708BD3F45453A7C49256DAE00344C49?OPENDOCUMENT
1 少年法61条が禁止しているいわゆる推知報道に当たるか否かは,その記事等により,不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきである。
2 犯行時少年であった者の犯行態様,経歴等を記載した記事を実名類似の仮名を用いて週刊誌に掲載したことにつき,その記事が少年法61条に違反するとした上,同条により保護される少年の権利ないし法的利益より明らかに社会的利益の擁護が優先する特段の事情がないとして,直ちに,名誉又はプライバシーの侵害による損害賠償責任を肯定した原審の判断には,被侵害利益ごとに違法性阻却事由の有無を個別具体的に審理判断しなかった違法がある。

として、破棄差し戻ししている。
なお、差戻審では、文春側の責任を否定している(名古屋高判平成16(2004)年5月12日判時1870号29頁)。


ところで、文春事件で用いられた仮名に「真淵忠良」というのがある。
(差戻前)名古屋高裁はこれを、「氏名ともに本名と全体として音が類似していること、本名の名前も「ただよし」とも
読めることを理由に、仮名の使用によって同一性が隠避されたと認めることは困難であると判断した」そうである。
松井茂記『少年事件の実名報道はなぜ許されないのか−少年法と表現の自由』168-169頁(日本評論社,2000)
週刊新潮で公表された実名と比べてみてもおもしろい。


これらをあわせて考えた場合、本報道は法的に非難されるべきものではないように思う。
確かに未確定ではあるが、一審は死刑と無期懲役であり、
10月14日名古屋高裁では3被告とも死刑が宣告されていることもあわせて考えると、
ここまで成人であれば実名報道している報道機関がここまで自重していることが不思議でならない。


参考文献:
松井茂記『マス・メディアの表現の自由』115-120頁(日本評論社,2005)
松井茂記『マス・メディア法入門 第3版』138-140頁(日本評論社,2003)
松井茂記『少年事件の実名報道はなぜ許されないのか−少年法と表現の自由』(日本評論社,2000)