日本国憲法と著作権(3)〜第2章 日本国憲法と著作者の権利〜

言いたい放題

第2章 日本国憲法と著作者の権利


第1節 著作者の権利


 著作権法は著作者の権利の内容として、著作者人格権(法第18条〜第20条)と著作権(法第21条〜第28条)とを別個に規定する(法第17条)*1 。後者の著作権については財産権と解されている*2 。そこでまず、財産権としての著作権の位置付けから検討する。


第2節 憲法第29条第1項と著作権


 憲法第29条1項は「財産権は、これを侵してはならない」と規定する。判例は、ここにいう「保障」につき、「私有財産制度を保障しているのみでなく、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権につきこれを基本的人権として保障する」ものとし*3、通説も同様に解している*4。では、基本的人権として保障される「財産権」に著作権が含まれるか。この点、憲法上の財産権の範囲の確定を可能にするという観点から、「財産権はすべて、その内容および行使について、法律による定めを必要とし、また現実にも規定があるのであって、その意味で、財産権は本質的に法律依存的権利」であって、「憲法上保護されるべき財産権とは、法律で内容が定められ、法的権利として保障された財産権」をいう*5、と解するのが妥当であろう。したがって、著作権法、すなわち著作者の権利を保護する法律がないのであれば、著作権憲法上の「財産権」として保護されないことになる。この点からすれば、著作権の根拠として、自然権論には立ち得ないように思える*6。しかしながら、日本国憲法制定時に著作権法が存在し*7著作権が規定されており*8、さらに現在も著作権法が存在している。このような状況にあっては、著作権も「財産権」として憲法上当然に保障されているといえよう*9
 それでは、「財産権」として保障される著作権とは、具体的にいかなる権利をいうのであろうか。この点、「著作者の財産権」つまり著作者の著作物に対する財産的価値(支分権の束)が保障されていれば足りると解すれば、各支分権はその具体的権利内容ということになり、何らかの支分権が残っていれば個別的な支分権の撤廃は許されることになる。これに対して、著作者の有する具体的な各支分権が保障されていると解すれば、すでに認められた各支分権を撤廃することは許されないということになろう。著作権法改正議論において、新たな支分権を創設するべきかどうかという問題が生じるが、後者の考え方によれば、一度創設した財産権(支分権)を廃止することは許されないと考えられ、新たな支分権を設定するにあたっては、利用者側から考えるとき、より慎重な判断が要求されるというべきであろう。他方で、前者の考え方よれば、著作者の財産権が残されていれば足りると解することになるので、そのような問題は生じないことになろう*10。この点、法第61条は、「著作権は、その全部又は一部を譲渡することができる」と規定しており、支分権ごとの譲渡を認めている。また、旧法下での判例が録音物著作権につき「財産権」であることを前提としていることからすれば*11、各支分権が具体的な「財産権」というべきであろう。よって、具体的な支分権を廃止して、著作者の権利を奪うことはできないという点において、憲法第29条1項による保障の意義があるといえる*12。現行著作権法は出版権や著作隣接権も規定しているが、同様のことがいえよう*13
 ところで、「表現の自由、意見表明の自由のほうも、著作権の保護を通して達せられることを見逃してはならない。」との指摘がある*14。確かに、「著作権」を保護することによって、「個々の著作者は自らの創作意欲が刺激され、自ら思うことを自由に表現するようになる」との指摘を全く誤りということはできない。しかしながら、表現の自由の保障の意義は、権力からの自由の保障にある。表現者の表現行為が妨げられないことが重要であって、それによって財産的利益を得ることではない。著作権の保障を検討するに際して、表現の自由による保障を考えるべきではなく、むしろ財産権たる著作権表現の自由に与える影響を検討すべきであろう。


第3節 憲法第13条と著作者人格権


 それでは著作者人格権についてはどうか。この点、憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定する。かかる規定の法的性格や内容については争いあるが、人格権が憲法第13条によって保障されると解することには問題ないであろう*15
 もっとも、ここでいう人格権(一般的人格権)と著作者人格権とをどのように捉えるかは別論であって、一般的人格権と本質的に異なるものとする理解(異質説)と、同質の権利であって一般的人格権の一現象形態にすぎないとの理解(同質説)とがある*16著作権著作者人格権を峻別せず著作者の権利を一元的に把握する一元説からは、著作者とその具体的な著作物との結びつきが注視され、著作者人格権は特殊のものと解されることとなろうが、二元説からは、著作者人格権を、一般的人格権を母体とする個別的人格権といってよいであろう*17
 著作権法著作者人格権として、公表権(法第18条)、氏名表示権(法第19条)、同一性保持権(法第20条)及び、みなし侵害行為(法第113条5項)で保護される著作者の人格権(以下、「著作者名誉権」という。)を規定している*18
 公表権とは、著作者の「著作物の提供の時期及び方法の決定」権をいう*19。著作物は人格の発露であるところ、その著作物の公表も人格権に属するものといえる。また、著作物が私的領域に関わるものである場合には、「個人はその領域についての情報を他に対して秘密にしておく権利を有する」*20という意味でのプライバシー権もその根拠と考えることができ*21、さらに内心の自由憲法第19条)や表現の自由憲法第21条1項)の消極的側面としての「沈黙の自由」としても根拠付けることができよう。この点、「思想及び良心」と著作物の内容が一致する場合に「公表」を擬制・推定すれば、第19条による内心の絶対的な自由に反するようにも思えるが、著作「物」として外面にあらわれた以上、仮にそれが公表を予定せず、著作者限りの記憶のためになされていたとしても、絶対的に保障される内心とは異なるものと言わざるを得ない。もっとも、プライバシー権等を侵害しないかどうかはなお問題となろう*22
 氏名表示権とは、著作物の公表に際し、「どのような名前を表示するのか、あるいは、そのような表示をしないこととするのか」についての著作者の決定権をいう*23。氏名は、「自らを他人と区別し、自らの個性を示すものであ」って、「それぞれの氏名所持者の人格を顕わ」すところ*24、著作物に自己を顕わす「氏名」決定権は、人格権としての保障の及ぶところといえる。また、著作物に附随する自己情報コントロール*25としてのプライバシー権に基づくものと考えることもできよう。
 同一性保持権とは、「著作物やその題号を改変するか否か」についての著作者の決定権をいう*26。「著作物は、著作者の人格の発露として、その無傷性が保障されている」ところ *27、人格の発露である著作物の改変は人格権侵害となる。
 著作者名誉権については、一般的名誉権の一態様として*28、一般的人格権に基づくものといえることに問題ないであろう。
 このように、著作者人格権は、一般的人格権を個別化して規定したものといえる。人格権に対して、その侵害となる要件を定め、損害賠償請求権や差止請求権などの救済規定を設けている点に著作権法の意義があるといえる。

*1:著作者人格権著作権との関係については、一元論と二元論があるが、法第17条や第50条の規定からは、二元論が妥当である。この点につき、田村『著作権法概説』405頁以下参照。一元論の理解は、半田『著作権法概説』111-113頁参照。なお、作花『詳解著作権法』220頁は「法の解釈適用に当たり、両者の権利を完全に分離独立して捉えることが必然的に求められているというものではなく、両者の関連性を考慮に入れた対応を図ることが現実的に妥当な結論を導くことができる場合があると考える」との指摘がある。本稿では二元的理解を前提に考察するが、個別の条文の検討にあたっては、両者の関連性も考慮にいれて検討する。

*2:斉藤『著作権法』161頁、作花『詳解著作権法』257頁参照。

*3: 最大判昭和62年4月22日民集41巻3号408頁「森林法共有林分割制限規定違憲判決」。

*4:佐藤『憲法』565-567頁、高見『憲法I』440-444頁参照。なお、私有財産制度の保障とは、いわゆる制度的保障で、その中核を侵害してはならないという意味であるが、その中核が何であるかは争いあるところである。この点、通説は資本主義経済体制をその中核とする((佐藤『憲法』566頁参照。)と解しているところ、本稿で制度的保障の点については検討する必要はないと思われる。

*5:戸波「財産権の保障とその制限」75頁参照。

*6:森村『財産権の理論』は、市場的財産権につき自然権と理解するも(74-76頁)、著作権についてはそのように考えていない(75頁、166頁以下)。

*7:著作権法明治32年法律第39号、昭和46年1月1日廃止。以下、「旧法」という。

*8:旧法第1条。

*9:旧法下の判例ではあるが、最大判昭和38年12月25日民集第17巻12号1789頁は、旧法第22条の7の録音物著作権につき「財産権」として保障されることを前提としている。なお、録音物著作権は現行法における著作隣接権である。

*10:理論的にはさらに権利制限規定(法第30条〜第49条)によって制限を受けた各支分権を「財産権」であるとも解しうる。しかし、「権利」として保障された支分権が、制限規定によって制限されていると解すべきであろう。

*11:前掲最大判昭和38年12月25日。

*12:もっとも、既存の著作物に対する財産権は従前の保護期間満了まで維持した上で、法廃止後に創造された著作物に対する財産権を認めないとすることの憲法適合性については、議論の余地がある。ただし、条約がある以上、脱退が必要で、かかる議論は現実的でない。

*13:著作権著作隣接権という名称はともかく、ある著作物創造への一定の関与者に何らかの形で財産権が保障されていることが重要である。旧法において著作権として保障されていたレコード録音者の権利が現行法により著作隣接権となったことに、憲法上の問題はない。

*14:斉藤『概説著作権法』35頁。

*15:最大判昭和61年6月11日刑集40巻4号872頁は「人格権としての個人の名誉の保護(憲法13条)」と言及している。

*16:田村『著作権法概説』403頁参照。

*17:斉藤『人格権法の研究』229-230頁参照。

*18:他にも、出版権との関係で修正・増減権(82条1項)、撤回権(84条3項)なども著作者人格権と考えられている(斉藤『著作権法』151-153頁参照)。さらに、実演家人格権として、氏名表示権(法第90条の2)、同一性保持権及び名誉権(法第90条の3)も規定されている。これらの点については割愛する。

*19:斉藤『著作権法』146頁。

*20:野中『憲法I』255-256頁。

*21:手紙の公表につき、東京高判平成12年5月23日判時165頁。

*22:なお、著作権法の「公表」同意擬制、推定規定については、法律上の「公表」(法第4条)についてであって、憲法上保護されるべき公表権の侵害とはならないというべきであろう。

*23:斉藤『著作権法』147頁。

*24:斉藤『人格権法の研究』236頁。

*25:ただし、その内容は明らかでなく、争いあるところである(野中『憲法I』255-256頁)。

*26:斉藤『著作権法』149頁。

*27:斉藤『著作権法』149頁。

*28:最大判昭和61年6月11日民集40巻4号872頁「北方ジャーナル事件」は、「人格権としての個人の名誉の保護(憲法第13条)」とする。