著作権法121条について

以前に書いた、
著作者であることの確認訴訟? - 言いたい放題
著作者であることの確認訴訟?その2。 - 言いたい放題控訴審判決がありました。

東京地判平成17年6月23日平成15年(ワ)第13385号著作権民事訴訟事件
http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/9312CD0BDEDADF064925710E000531A3/?OpenDocument
知財高判平成18年2月27日平成17年(ネ)第10100号等著作権民事訴訟事件
http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/89562E05CC7455DC49257123001CFD36/?OpenDocument

まずは、この判決を報じた記事。

2審も「制作者は西氏」 万次郎像めぐり知財高裁
 高知県土佐清水市の公園にあるジョン万次郎の銅像をめぐり、彫刻家西常雄氏が「作者は自分」として、台座に記名のある彫刻家大谷憲智氏を相手に氏名表示権(著作者人格権)の確認などを求めた訴訟の控訴審判決で、知財高裁は27日、請求を認めた1審東京地裁判決を支持、大谷氏の控訴を棄却した。
 判決理由で中野哲弘裁判長は「専門家の鑑定や契約書などから、創作的表現を行ったのは西氏の方で、大谷氏は助手として準備などをしただけだった」と述べた。
 大谷氏側は大谷氏名義で作品を公表することで合意があったと主張したが、中野裁判長は「制作経緯から合意があったとは認められない上、合意があったとしても著作権法の規定に反し無効だ」と退けた。
共同通信) - 2月27日18時38分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060227-00000184-kyodo-soci

事実認定はそうなのか、としか言いようがないので、気になるのは後段部分。
とくに、最後の一文「合意があったとしても著作権法の規定に反し無効だ」という点が気になっていたのですが、
判決がアップされたのでさっそくチェック。(ちなみに記事では「」ですが、引用ではありません。まぎらわしい)

(2) 一審被告名義での公表に関する合意の有無について
ア 一審被告は,一審原告が本件各銅像に一審被告の署名が入っていたことを当初より認識していたにもかかわらず,30年以上もの長期にわたり何ら異議を述べていなかった等の事情からすれば,一審被告と一審原告との間には,本件各銅像につき,一審被告名義で公表することについての明示又は黙示の合意(本件合意)が存在したことが認められ,本件合意の効果として,一審原告はその事実を第三者に対して明らかにすることは許されず,したがって,本件通知請求は認められないことになると主張する。
  これに対し,一審原告は,本件の審理経過に照らせば,一審被告による「本件合意」の主張は,明らかに時機に後れた防御方法であって,却下を免れないものであると主張する。
イ まず一審被告の前記主張が時機に後れたものであるかどうかについて検討すると,一審被告が当審に至り上記主張を追加したからといって,当然に訴訟の完結を遅延させることはないのみならず,現に特段の立証方法の追加がなされた事実は認められないから,時機に後れたとする一審原告の上記主張は採用することができない。

まず、この点は原審では争点とはなっていない。控訴審で争点化したものであることを確認しておく。
また、訴訟法的な部分は本稿では割愛(というか単に省略)する。

ウ そこで,進んで本件合意に関する一審被告の上記主張について検討する。
  本件各銅像が制作された経緯はジョン万次郎像について原判決26頁8行目ないし33頁下3行目,Pについて同48頁12行目ないし52頁16行目のとおりであり,一審原告は,ジョン万次郎像についてはその制作直後から像の台座部分に一審被告のサインがあり,その備え付け石板にも,制作者として一審被告の名前が記入されていることは認識していたが,一審被告と注文者との関係を考慮して異議を述べなかったにすぎない。一方,P像について一審原告は,制作者が同原告であることの証拠を残そうという思いと,ジョン万次郎像について一審被告から報酬を受領していないことに対する抗議の気持ちから,P像の頭頂部に「Y」と一審原告のサインを刻したのであり,これらの事情に照らせば,明示的にはもちろん,黙示的にも,一審被告が主張するような本件合意が成立したとまで認めることはできない。
  加えて,著作者人格権としての氏名表示権(著作権法19条)については,著作者が他人名義で表示することを許容する規定が設けられていないのみならず,著作者ではない者の実名等を表示した著作物の複製物を頒布する氏名表示権侵害行為については,公衆を欺くものとして刑事罰の対象となり得ることをも別途定めていること(同法121条)からすると,氏名表示権は,著作者の自由な処分にすべて委ねられているわけではなく,むしろ,著作物あるいはその複製物には,真の著作者名を表示をすることが公益上の理由からも求められているものと解すべきである。したがって,仮に一審被告と一審原告との間に本件各銅像につき一審被告名義で公表することについて本件合意が認められたとしても,そのような合意は,公の秩序を定めた前記各規定(強行規定)の趣旨に反し無効というべきである。
  一審被告は,著作権法19条が氏名表示権の行使の一内容として,明文を以て著作者の変名を表示することや著作者名を表示しないことも認めていることを理由に,真の著作者名を表示することが公益上の理由からも求められていると解することは妥当でないとも主張するが,著作権法は,真の著作者の変名表示や非表示を認めるにすぎず,真の著作者ではない者を著作者と表示することまでも許容する趣旨ではないから,一審被告の上記主張は採用することができない。

さらっと述べた下線部分であるが、非常に気になることを述べている(しかも合意の不存在を認定しているから傍論といえば傍論である。)
著作者人格権は、法律上具体化された人格権であるというのが筆者の考え方であるし、一般的な理解であると思っている。
この点、加戸守行『著作権法逐条講義四訂新版』(著作権情報センター,2003/06)165頁は、19「条の立法趣旨は、著作物の創作という個人的事実によって生ずる著作者と著作物の人格的不離一体性に着目し、
その人格的利益を保護するために、著作者がその著作物の創作者であることを主張する権利を認める趣旨に出たものであります。」としており、
人格権というか人格的利益というかはともかく、著作者の人格に配慮したものであることは異ならない。
一方、本判決は、121条を根拠に、公益目的も導いている。このような理解は、原審の「5 争点6について」での理解を踏襲したものだろう。

5 争点6について
(2) 被告は,本件においては,原告が30数年にわたり,氏名表示権を行使していなかったのであるから,原告の氏名表示権に基づく請求権は,権利失効の原則により消滅している,と主張する。
 しかし,氏名表示権(著作権法19条)については,公表権(同法18条)のように,著作者の同意があれば侵害の成立を阻却することを前提とする規定(同条2項)が設けられていないこと,著作者ではない者の実名等を表示した著作物の複製物を頒布する氏名表示権侵害行為については,公衆を欺くものとして刑事罰の対象となり得ることをも別途定めていること(同法121条)からすると,氏名表示権は,著作者の自由な処分にすべて委ねられているわけではなく,むしろ,著作物あるいはその複製物には,真の著作者名を表示をすることが公益上の理由からも求められているものと解すべきである。

この点について、すでに原判決時に述べたが、再掲しよう。


裁判所は、氏名表示には公益的目的もあるから、本人が氏名表示権を行使しなかったというだけで
権利失効するわけではない、という。
まず、確認しておくことは、公益目的のために氏名表示しないといけない、というわけではない。
あくまで氏名表示する場合には、正しいものでなくてはならない、というにすぎない。
(ただし、どのような氏名を表示するかは、氏名表示権の内容であって、変名も妨げられない。)
しかし、著作者人格権(氏名表示権)は放棄できないのか?ということについてはよくわからない。
あくまで黙認や権利失効という消極的処分はできません、ということか?
もし、著作権法121条の法意をあまりに強調しすぎるのなら、積極的処分も否定されることになる。
ゴーストライターと有名人側でも仲たがいが生じた場合には同様の問題が生じることにもなりかねない。

第百二十一条  著作者でない者の実名又は周知の変名を著作者名として表示した著作物の複製物(原著作物の著作者でない者の実名又は周知の変名を原著作物の著作者名として表示した二次的著作物の複製物を含む。)を頒布した者は、一年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

ただし、注意すべきは、本条の適用主体は「著作物の複製物…を頒布した者」のみである。
ちなみに、ゴーストライター(代作)と著作権法121条については、

いわゆる代作の場合においては、形式的には本条に該当しても、世人を欺くというような実質的な違法性、反社会性がない場合も少なくないものと解されている。
作花文雄『詳解著作権法 第3版』504頁(ぎょうせい,2004)

とある。ちょっと日本語分かりにくいのだが、違法性が阻却されるということか?


確かに、121条については、親告罪ではない(123条1項参照)。
しかし、これは著作物の原作品や原著作物に付された氏名と異なることから氏名表示権侵害が明白であるから、
公益上からも加味して、告訴を不要したにすぎず、これをもって、人格権を放棄できるかという観点ではなく、単なる公益の観点からのみから、
著作権法は,真の著作者の変名表示や非表示を認めるにすぎず,真の著作者ではない者を著作者と表示することまでも許容する趣旨ではない」
という言い切ることはできないであろう。
むしろ、変名として他者の氏名(実名)を名乗ることも許されるというべきで、
人格の発露たる変名に法律自身すら制限をもうけていないことからすれば、
著作権法19条が氏名表示権の行使の一内容として,明文を以て著作者の変名を表示することや著作者名を表示しないことも認めていることを理由に,真の著作者名を表示することが公益上の理由からも求められていると解することは妥当でない」との主張は妥当だと考える。
仮に変名によって、その変名を実名とする者の人格的利益が侵害されているとすれば、何らかの両者の利益調整は必要だろうが、
それはあくまでも、その実名の者の人格的との調整であって、本来公益がでてくる場面ではないではないのではないだろうか。
「著作者でない者の実名又は周知の変名を著作者名として表示」の一類型として、自分の名前では世間の評判を広めることができない場合に、
有名作家の名前を使う場合が挙げられているが(加戸守行『著作権法逐条講義四訂新版』(著作権情報センター,2003/06)714頁参照)、ここには、単に経済上のフリーライドという観点と、
著作物により築いた人格へのフリーライドとい観点から調整したものとして限定して考えるべきではないか。
このことは121条が刑罰規定であって、処罰範囲に限定が必要なことからも妥当であろう。
また、121「条は氏名表示権の保護を目的としているのではなく著作者名を偽るという公衆に対する欺もう行為禁止するための規定です
(田村善之『著作権法概説(第二版)476頁』)」(升本喜郎・TMI総合法律事務所編『著作権の法律相談〔第二版〕青林法律相談 20(青林書院,2005/11)147頁より孫引用。すみません。)とあることから、
この規定によって19条を解釈することは失当であると言わざるを得ないであろう。


このように考えてくると、本件にとおいては、少なくともその表示された氏名の者(一審被告)の同意があり、
その者にフリーライドするということもないのであるから、そもそも121条を持ち出して解釈する場面ではないのである。
東京地裁(民事46部)と知財高裁(2部)がそろってこのような著作権法の解釈をしたことは極めて憂慮すべき事態だと思う。
しかも、東京地裁はこの論理を権利濫用を否定するのに用いたのに対して、知財高裁は同意を否定するために用いた点でも、
著作者の氏名表示権という人格権保護の観点から問題のある解釈と言わざるを得ないように感じる。
暴論のように感じるのは筆者だけであろうか。