棋譜の著作性、詰め将棋の著作物性

http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050523/1116786786#cのコメントに関連して。
現状では訴訟と直接関係ないと筆者は認識していますので、このようなタイトルで。


まずは、詰め将棋の著作物性
詰め将棋の著作物性についてはクイズやなぞなぞに著作物性はあるのか?というのと同じような感じかと。
少なくとも詰将棋問題「集」を複製したら編集著作物の著作権侵害のように思います。
ただ、個々の詰め将棋の問題に著作物性があるかどうかは難しいような気がします。
私見としてはクイズそのものはアイデアにすぎないので、それ自体著作権は保護しません。
一方で、そのクイズ問題がそのアイデアに関して思想感情を創作的に表現したと言える場合には、
その問題の「表現」が著作物性を有することはあると思います。
ただ、詰め将棋が一般にそのようにいえるかについては疑問に感じています。
そのアイデアを誰が表現したって同じになるのだから、創作性はないのかと。
いずれにせよ著作権はアイデアのオリジナリティを保護するのではなく、
表現のオリジナリティを保護するものであることに注意する必要があると思います。


次に、棋譜の著作物性について。とりあえず感覚的に書きます。
ただし、これだけ確認しておきます。

き‐ふ【棋譜
碁・将棋の対局での手順を記録したもの。
大辞泉
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=04356200&p=%B4%FD%C9%E8&dtype=0&stype=1&dname=0na&pagenum=1

以下、将棋の棋譜ということで書きます。囲碁ファンの方すみません。
囲碁に置き換えても同じだと思います。
外国における(日本でもいいけど)チェスの著作物性の議論を探してみてもおもしろいでしょうねぇ。
やり出すとキリがないので、今回はやめておきます。


まず、棋譜は著作物だ、という考え方について推察してみます。
明確な根拠はわかりませんが、これを感覚的に書けば、音楽の著作物と楽譜の関係ということでしょうか?
建築の著作物とその図面との関係と同じということでしょうか。
将棋を指すのも、思想感情の創作的表現であって著作物性があり、それを記した譜面もまた著作物だと。
また、対局し終わった棋譜をみて、芸術的な対局だと感じるのかもしれない。
連句の著作物のようなことを考えているのだろうか?
もしこのように著作物性を認めるのであれば、立場にたてば、対局した指手の共同著作物ということになろうかと。
棋譜にしたがって指すのは演奏?上映?複製?考えてみるとおもしろい。

余談:ただ、そういう行為がおもしろいのか?1回目はおもしろいかもしれないけど。
   将棋好きな方おしえてください。
   これは本当に余談。1回聞いてあきる音楽でも著作物性はあります。

もっとも、将棋の勝負で、知って本質的特徴である指手順を真似たら著作権侵害になるの?
それはそれで自分で自分の首をしめるような気もするのだが?
それとも、業界慣習としてそれを(黙示的に)許諾しているというのだろうか?
認められるなら認められるで、考えるべき問題は多いように思うが、
上記のような著作物性があるとされる類似物との比較をすると、
感覚的に「棋譜は著作物」というのも全く不合理ということはできないかもしれない。


しかし、そもそも将棋は思想感情の創作的表現なのだろうか?
次の将棋を指すということに、そのような表現を認めうるのか?その表現は創作的なのか?
確かに次の一手を考えてうつ。
「4六歩」という「将棋の指し位置」の表現の背後にあるものは、
その対局で自己の「積み」(勝利)に向けられた後の展開の検討である。
様々な検討の結果次の一手を導き出すいうことの中に思想性感情性があることも否定できない場合もあろう。
そして、野球は「ヒット」と思って打っても「ヒット」にならないことがあるのに対して、
将棋で「4六歩」を打てば、それは「4六歩」である。この意味では、棋譜と野球のスコアとは異なっているといえる。
しかしながら、思想感情性(ある特定の状態を導くための次の手)につき、
その表現を誰が行っても「4六歩」なのである。同じことを別の表現で行うことはできないのである。
その指し方に舞踊の著作物のような著作物性があったとしても、指手としての「4六歩」は「4六歩」なのである。
したがって、何にせよ創作性がないのであって、著作物性はないというべきである。
つまり、次の一手に向けて思想感情が向けられていても「4六歩」との表現に創作性はないということである。
もっとも、一定程度の指手の集積により創作性があり、編集著作物のように著作物性があるとの主張もあるかもしれない。
確かに、対局後に棋譜を振返ると、様々な指手から取捨選択して創作的に表現したという主張があるかもしれない。
しかし、取捨選択の背後にあるものは一定の思考である。
同一の思考を表現するには、同一の指手しかない以上、創作性はやはり否定されることになろう。
したがって棋譜には著作物性はないということになる。


ただし、棋譜という客観的(データ)に関して、思想感情を創作的に表現したものについては、著作物性はある。
そこは区別する必要がある。
基本的には時刻表の著作物性とかと同じことのように思います。
時刻表の著作物性については、

時刻表の著作権著作権等の知的財産権関連の質問とその回答(13)〜
 http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20050513/1115915809

を参照。


ざっと考えてみました。細かいツッコミは御勘弁。
機会があればきちんと書こうと思います。